「うちの親は こう 言っていたよー」
は
もう 私の心には 響かない
と いうか
もともと 親の言う事を 聞かないで
自分判断していた性格なので
親の意見で 私もそれは よい事だな~
と、思う事は 取り入れていた。
と言ったほうが よいかな?
どこの 学校へ行く
や
何に就職する。
といった事は 私自身で決めていた。
というか いちいち 私の親は 私の事に
なんら 言わなかったし
なので 結婚しようとした人も 自分で決めた。
って あたりまえか
あまり 私の周りの友人等も
最後に親の許可を得る
という人はいない
私が 父に 怒っていたのは
私自身が決めて 結婚をしようと思っていた人に
最後に 何故? 父自身が私に 許可を得ず
勝手に 相手へ電話を入れたのか?
ここに 私は怒っていた。
当時、父は「親なんだから 心配するんだ 心配して相手へ娘(私)とはどうなっているんですか?と、電話を入れたんじゃねーかー」
と 言っているが(←言っている というのは 録音があるから)
私から したら 余計なお世話。
「良い歳になった者同士の結婚なんだから
自分で 決着付けます。」と私は父に言っている。
父も「そりゃそうだな」
と、納得している。
ここに 母がいたら 「お父さん黙ってな!」
と、一言言ってくれたのに・・・
いや
元々は、元彼も 父が初めて電話をしてきた行為に対し
娘さんと きちんと話しをしますから 心配しないで下さい。
と、言えなかった事が 問題あり、なのだが・・・
この人は こういう人だった。という事で さようなら~でして
私は自分の事を 自分で決めるから その変わり責任も取る。
このスタンスで 仕事から 何から 人に(たとえ親でも)迷惑かけた事は無い。
母も 迷惑をかけるような人では なかったから
自分で出来る事は(金銭面になるけれど)病院代から葬儀代まで
用意していた。
逆に 亡くなった後も 私等の 事を考え抜いて そこまで
とっておいてくれた。
母の 身体を 送り迎えする事や Drの 言っている事の
把握できない所は 私に 求めてきたけれど
とにかく
漢字も読めない人が 自分の身体や薬の事 だけは
しっかり 自分で把握しておかなきゃならないな!
と、思っていた意欲 は すごかったな~
と思った。
ガンの手術後 心肺停止したのに 退院して2.3日すれば
台所に立っている。
って・・・
私だったら イヤ。寝ていたい。
亡くなる前 10年は 障害者手帳を持っていたけれど
障害者 何級 だと 都や市から 援助される事が 多い事があるのだけれど
ことごとく それを こばんで いた 母
自分が 人並になれなくなったような 勘違い事実を認めたくなかった
んだな~
と思う。
タクシーの割引券 や 無料マッサージ券や 百貨店の駐車場割引券 障害者駐車場に止めても良いのに これらを絶対に使わせなかった。
使わせなかったというのは 主に 私が車を運転していたから、止めさせてくれなかった。
それそうおうの 税金を支払っていたのだから 当然に使って良い立場だったのに
「車椅子に座っているわけじゃなく 自分で歩いていけるんだから」
という 意識が強かったのだと思う。
そう 思うと
私 以上に 母は 自分の意思があった人だったんだな~
と思った。
まして 人様に迷惑かけて逝ってないけれどね。
なんの 責任も残していかなかった。
ん~ ・・・
ここまで するって 私には 無理。。。
祖母も 祖母で認知だった頃でも 病院で 手を縛られている
紐を 自分でほどいて ベッドから落ちても
家に帰ろうとした。
人の意思って すごいな~ と思う。
この 家族と 住んでいたのだから
私に パワーがある とか 我が強いとか 言われても
私には ピンとこない。
私以上に パワーがあった人達を 見てきているからなの?
は
もう 私の心には 響かない
と いうか
もともと 親の言う事を 聞かないで
自分判断していた性格なので
親の意見で 私もそれは よい事だな~
と、思う事は 取り入れていた。
と言ったほうが よいかな?
どこの 学校へ行く
や
何に就職する。
といった事は 私自身で決めていた。
というか いちいち 私の親は 私の事に
なんら 言わなかったし
なので 結婚しようとした人も 自分で決めた。
って あたりまえか
あまり 私の周りの友人等も
最後に親の許可を得る
という人はいない
私が 父に 怒っていたのは
私自身が決めて 結婚をしようと思っていた人に
最後に 何故? 父自身が私に 許可を得ず
勝手に 相手へ電話を入れたのか?
ここに 私は怒っていた。
当時、父は「親なんだから 心配するんだ 心配して相手へ娘(私)とはどうなっているんですか?と、電話を入れたんじゃねーかー」
と 言っているが(←言っている というのは 録音があるから)
私から したら 余計なお世話。
「良い歳になった者同士の結婚なんだから
自分で 決着付けます。」と私は父に言っている。
父も「そりゃそうだな」
と、納得している。
ここに 母がいたら 「お父さん黙ってな!」
と、一言言ってくれたのに・・・
いや
元々は、元彼も 父が初めて電話をしてきた行為に対し
娘さんと きちんと話しをしますから 心配しないで下さい。
と、言えなかった事が 問題あり、なのだが・・・
この人は こういう人だった。という事で さようなら~でして
私は自分の事を 自分で決めるから その変わり責任も取る。
このスタンスで 仕事から 何から 人に(たとえ親でも)迷惑かけた事は無い。
母も 迷惑をかけるような人では なかったから
自分で出来る事は(金銭面になるけれど)病院代から葬儀代まで
用意していた。
逆に 亡くなった後も 私等の 事を考え抜いて そこまで
とっておいてくれた。
母の 身体を 送り迎えする事や Drの 言っている事の
把握できない所は 私に 求めてきたけれど
とにかく
漢字も読めない人が 自分の身体や薬の事 だけは
しっかり 自分で把握しておかなきゃならないな!
と、思っていた意欲 は すごかったな~
と思った。
ガンの手術後 心肺停止したのに 退院して2.3日すれば
台所に立っている。
って・・・
私だったら イヤ。寝ていたい。
亡くなる前 10年は 障害者手帳を持っていたけれど
障害者 何級 だと 都や市から 援助される事が 多い事があるのだけれど
ことごとく それを こばんで いた 母
自分が 人並になれなくなったような 勘違い事実を認めたくなかった
んだな~
と思う。
タクシーの割引券 や 無料マッサージ券や 百貨店の駐車場割引券 障害者駐車場に止めても良いのに これらを絶対に使わせなかった。
使わせなかったというのは 主に 私が車を運転していたから、止めさせてくれなかった。
それそうおうの 税金を支払っていたのだから 当然に使って良い立場だったのに
「車椅子に座っているわけじゃなく 自分で歩いていけるんだから」
という 意識が強かったのだと思う。
そう 思うと
私 以上に 母は 自分の意思があった人だったんだな~
と思った。
まして 人様に迷惑かけて逝ってないけれどね。
なんの 責任も残していかなかった。
ん~ ・・・
ここまで するって 私には 無理。。。
祖母も 祖母で認知だった頃でも 病院で 手を縛られている
紐を 自分でほどいて ベッドから落ちても
家に帰ろうとした。
人の意思って すごいな~ と思う。
この 家族と 住んでいたのだから
私に パワーがある とか 我が強いとか 言われても
私には ピンとこない。
私以上に パワーがあった人達を 見てきているからなの?