眠くて眠くてねていたのに 起きた。

おきたので DVDでも見よう と 先日の「ナイナイアンサー」の丸岡さんの うつ
を見ていた。

私ここまでではなかったなあ~ 
と、思いながらみていたけれど
丸岡さん→母親への気持ち 自慢な娘 世間に自慢できる娘 が うつになって実家にいて、母親に恥をかかせた。と思い込んでいた 誤解 なんだろうけれど
丸岡さんの母親は そんな事を思っていない母親だった。

じゃあ私は? と考えると
私の母親も そんな事を思う人ではなかった。とうてい自慢の娘とは思ってもいなかったし、生きていればそれでいい。って感じに私はうけとっていたけれど
じゃあ私はどこから 誤作動がおきたのか?
と、考えた時に やはり 叔母。
叔母はハッキリと 「あなた(私)の職業と兄カノの職業じゃあ責任の重さが違うのね」「あんたはたいした仕事してないじゃない」
等々言う人だ! ここがまるで 母親と違う。
母親からは こんな言葉聞いた事もないし 言われた事もない。

いつから あの人 私の家の事に口出ししてきたんだろう?と考えたら
やっぱり 母が亡くなってからだな~ と、思った。

「私はあんたの母親に母代りでお願いします。って言われたんだから」等と言っていたけれど
、女性センターの人に話したら
「そんな事、絶対にお母さんは言っていないし、頼まれたとしても わざわざ言わない」「そういう叔母さんだから言うのよ」と 言われたな~
と。これ 私も疑問に思っていた。 うちの母親がいうかな?と 叔母にそんな事頼んでいく訳ないし。と。。。

ぜーーーんぶ ここ だったな~ と、思った。
私の婚約者を 父に紹介した時にも 叔母がいた。
私と元カレの仲では 元カレの実家に近い所のアパートを借りて住もう。と決めていた。(父1人子1人だったから)
この時も 叔母が「あんたが彼のお父さんと一緒に住んでやれ」と言った。
ここ 本来、叔母が決める事でもない。口出しする事でもない。
母親だったらきっと「お前らが考えて決めたんだったらいいんじゃない」と言うと思う。

父の四十九日時に 全員がいる前で叔母に聞いてみた「なんでおばさんあの時にそんな事言ったの?」と
叔母「だってあたり前でしょ!普通長男なんだから 父親のマンションに お前が一緒に住むのがあたり前じゃない!わざわざ外へでて無駄なお金を使う必要はない!」
って、、、ここでも金でした。。。

と、 うつ の事から 離れてしまった。

DVDを見て 私 うつ だったな~ と、思う。
いろんなメンタルクリニックの先生たちに 「私 うつですか?」と、あの時聞いていたけれど
だれも うつ とは言ってくれなかった。
1人だけカウンセラーさんに 「うつ ですよ」とは言われたけれど
うつ を自分で否定していた訳でもなく うつ自体がどういうものか わからなかった。

丸岡さんの 経験からとは違うけれど 我慢のしすぎ 頑張りすぎ でも ブレーカーは落とせなかった。イヤ 自分の部屋にいる時は落せたけれど
実家にいたら 落とせなかった。

丸岡さんの DVDを見ていると 変化に気がついてくれる 両親がいてくれていいな~
と、思った。
私 いなかった。 いなかった。って今気がついたからよかった。 
サポートしてくれた人はいた。
友達には 第三者な目で見ていてね。と、当時、毎日友達に電話していた。
当然友達は嫌がった。だけど私は電話していた。

私 かなりな 環境下にいたんだな~ と 思った。

1人の時は 強い自分で いる事。 強いって=頑張る じゃない。
自分の気持ちの意思表示を 周りにすること。
罵倒される。自分と180°違う意見を罵倒される。けれども 自分の意思は、まげない事。
表現する事。

私の場合は 当時 いろんな人から「離れなさい」「逃げなさい」と言われたけれども
何故?私は何も悪い事をしてないのに 「逃げなきゃいけないの?」と思って
「逃げて離れたら 父が死んじゃう」と、どこかで考えていた。
これ 母の時もそうだったな~

つかれた つづく かな?