そこから 何故か病院の対応も変わってきた。
父のオムツを取り替え時に 乱暴に扱われるようになった事
父の身体がどうしても bedの下にずり落ちてしまうので 2人がかりで上へ シーツを利用して持ち上げる。この時に 頭をbedに思いきり強打する。
笑いながら オムツを取り替える 等私から見ても異常な動きをしていた。

ある時夜勤の看護士さんから『お父さんわかってますよ』『上からの指示ですから』と言われた。私はこの時意味がわからなかった。
兄と叔母は 父の病院を変える動きをしているのか していないのか 近所の内科医にこだわっているようだった。 私は電話で福祉の人に頼み 病院の相談室へ行き 父の移動できる空きの病院がないか 相談していた。 福祉の人は沢山FAXをくれた。病院の相談員さんはなかなか連絡来ず。

そんな慌ただしい中でも 看護士達の虐めはエスカレートししまいには眠剤が打たれた。私は思わず『辞めてください』と言ったがダメだった。父眠りっぱなしになってしまった。

ある日の朝 病室へ行くと 無造作にかけられた 布団。 あきらかに父の浮腫みが倍増していた。
私はなんで・・・と 言葉もでず
伯母①と兄に 連絡を入れた。
伯母①と兄で 夕方きたが 、私が病室へ入ったとたん 伯母①と兄は、父の耳元から サッと離れた。 何を話していたのか・・・

同じような事が 伯母②と伯父もしていた
皆動けない 父の耳元で 何をふきこんでいたのか・・・

担当医は1週間学会でいなくなり その間助手が観ていたが あきらかに動脈からの採血ができない 私から先生何年くらい先生になられているんですか?と聞いた。 2年目です。 と・・・ 私 唖然とした。伯父①と兄も、病院を探している様子もなく
兄に『今の時間はなんなの!』と怒鳴った。兄は『仕事だから動けねーんだよ!』と言った。 だったら初めから私に任せればいいじゃん! 当時の父の状態からはもう 動かせないよ!
最後のきわめつけは、看護士さんのクシャミ。父の顔の目の前でクシャミしていった。案の状、そこから肺炎をおこし
父もクシャミをしだした。伯母①に言っても、『あーお父さんが風邪でもひいたら それはゆんちゃんのせいだね』と 電話口に言われ 電話を切られた。

兄から もっと上の先生に頼むよう言ってくれ と私が頼んでも 兄動こうとせず これはナイーブな事だから 私も躊躇したが

頼みは 燕下の先生しかなかった。しかし 燕下の先生もある朝 あ~ と父を見るなり悲しい顔をした。


父は最後のほうで 私と兄の手をとって 俺はお前ら2人だけいればいい と言い
もうろうとしてる中、私の頭をなで 最後には右窓の上を指差し 『坊さん』と言った。

私はもう 常に父の身体のどこかに ふれ ゆっくり呼吸にあわせて なでる 事しかできなかった。


近くにクリスタルを売っているお店があったので 買いにいき 水晶を枕元へおき 別の水晶で 心臓あたりをずっと 優しく撫でていた。
私には これしかできなかったな。

最後の日には 母と父との写真を枕元へ置いて 最後の夜勤担当の看護士。に見せつけた。まだ24歳だ。父を虐めた。父は精一杯こいつに殴るポーズをした。私に見せた。憎かったろうな。24歳看護士君 いくら上からの指示でも 人としてやっていい事とやってはいけない事がある。 こんな事を病院は、していたら 病院勤めの人達は すごいカルマを背負うんだろうな。

あきらかに 国がおかしいよ。そんな発展日本を作ってきたのも 父達の世代。っていうのも不思議だけどね。
父は若い頃から身体でよく働き そのぶんよく稼いだ。稼いだぶん 税金も支払った。 最後にその税金から給料が発生している人達に虐めにあわされ そんな人達の意思一つで亡くなるなんてね。

私は霊感等ないけど この時はなんだか 父『お先に~・ばいば~い』という感じがした。
やっと解放された。と感じたけど それは私だったかな?と わからない。