「修羅天魔 〜髑髏城の七人 season極」

[作]中島かずき
[演出]いのうえひでのり

[出演]天海祐希 / 福士誠治 / 竜星涼 / 清水くるみ / 三宅弘城 / 山本亨 / 梶原善 / 古田新太 / 他


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4月8日14時〜、IHIステージアラウンド東京にて。
私の髑髏シーズン見納めをしてきました。

修羅天魔、まずネタバレでない感想を言うと、
「ネタバレ避け続けて本当に良かった!」
て思いました(笑)
髑髏シーズンで開幕からマイ初日までこんなに日にちがあったのは初めてだったので、めちゃくちゃネタバレ自衛したんですよ。
おかげであちこちに驚きがありました。

「完全新作」と銘打ちつつ、そんなに変わってないんだろ?

と穿った見方をしておりました私でしたが、いやいや意外と変わってたね。
ただ、本当に「全く別モノ」を期待していくと肩透かしを喰うやもしれません。

結果的に、私にとって修羅天魔は「ボーナスステージ」だと思いました。
これ以前に「髑髏城の七人」どれか1作でも観たことがある人だけが味わえるその先の面白さ、本当の完結編的な位置付け。
逆に一作も予習せずにこの「修羅天魔」だけ先に観てしまうのは、どうしたっておススメ出来ない。
勿論続き物ではないから、なにも知らなくても全然楽しめるんですよ?
でも、知ってるのと知らないのとでは、カタルシスの度合いがあまりに異なる。
あと単純に、予備知識ゼロのまっさら状態で1から観る面白さなら、多分この修羅天魔は他の髑髏には到底敵わない。
そういう意味では、単発作品としての評価は個人的には非常に難しくて厳しい気がします。

ただ、ボーナスステージあるいは髑髏サーガの真のフィナーレとして観るのならば、めちゃくちゃ良かったです。
これ以上なく美しく締まったと思いますし、イチファンとして様々な想いが報われました。
これに関してはいのうえさん&中島さん、もう、粋!なにもかも!
90年に初演やってから28年越しのプロジェクトの完結だよ。
(勿論初演時にはまさか未来にはこんな事になってるなんて、流石のお二人も思いもしなかったでしょうけど。)
そんなわけで、この感想も終始それが前提です。

多分、髑髏城が鉄板で持っていた見せ場の数々の勢いを思い切って殺してでも入れてきた修羅天魔独自の新見せ場のほとんどが、過去の髑髏城(あるいはステアラ演出)の積み重ねの上に成り立っている。
というのがこんな感想を抱いた理由なんじゃないかと思います。
そしてそれを可能にした最大にして絶対の条件は唯一
「天海祐希のキャスティングに成功した」
です。
いやもう、そんなの、修羅天魔鑑賞後なら火を見るよりも明らかです。
とまぁそれは言い過ぎたかもしんないけど、実際天海さんで無ければ絶対に無理な脚本演出だったろうし、そもそもいのうえさん中島さんもこんな舞台にはしなかったろうし。
天海極楽がセンターに立つから成立した極髑髏だったことは、満場一致じゃないでしょうか。
美しさが留まるところをしらないハンコック様状態でした(←それは違う作品)
あの広い舞台、特に回転し始めたら次から次へと新しい情報が現れて観客としてはめちゃくちゃ忙しいんだけど、それでも天海極楽が現れたら
「あぁ、あの人を観てれば良いんだな。
…つか、もうあの人しか観られねぇ!」
と釘付けにされちゃう。
どこを見れば?なんで迷いは不要、天海極楽だけ観ればよい。
目がたとえいくつあろうとその全部の目で天海祐希を観てればよい。
そうも思わずにはいられない圧倒的オーラ。
そして同じことは我らが看板役者様にも言えます。
2004年以来の古田新太天魔王復活!
私は極情報解禁までは、古田天魔王を生で見られる日が来るという望みをほぼ諦めかけていた女です。
だからあのシーンこのシーンで悶絶一歩手前でした。
カッッッコいいっっっ!!!
たまに笑いも挟みつつ、それでも壮絶に格好いい古田天魔王。
天海極楽とどのような関係?どのような新シーンに?というのは断然ネタバレ避けでお願いしたいポイントのひとつです。

あとは他の面々も「はじめまして!」だったり「おかえり!」だったりでいちいち最の高でした。
新感線クラスタとして絶対に避けて通れないのは「はじめまして!」も「おかえり!」も両方掻っ攫った川原正嗣に、ついでのようにあっさり魂も掻っ攫われることですね。
極の川原さんはマジでヤバイので、川原ファンは絶対に極髑髏をスルーしてはいけない。

ぶっちゃけ私はこの髑髏シーズン企画が発表された時は、花鳥風月各シーズンもこんくらい作品毎に変わると楽しみにしてた。
だから月に至って、正直流石にお腹いっぱいになりかけたんですが、極でようやく本当に見たかったサプライズが味わえて満足したしホッともしました。


以下は思い切りネタバレな感想になります。
未見の方はご注意下さい。



























いや、清十郎あんなもん実質捨之介やんけ!
川原さんと川原ファンの為の極髑髏やんけ!

そうも言いたくなるわってくらいの川原正嗣祭り、格好良すぎ清十郎さんでした。
だって、極髑髏新キャラでありながらしっかり最後七人入りするやん?
一足先に髑髏城に乗り込んで、皆が来るまで負傷しながらも城でひたすら待ってるやん?
沙霧守って闘うやん?
捨ポジだし、清十郎あっての極髑髏やん。
あれはずるい、ずるいです。
ありがとういのうえさん、ありがとう中島さん。
一年以上表舞台から遠ざかって久々に我々の前にその美声とキレッキレのアクションを披露してくださったかと思えばあのキャラだもん、致死量ですよ。
危うくしにかけたから、お家帰って慌ててエスパーダ様ワクチン打ったら悪化。もう無理一刻も早く川原さんにまた会いたい。
川原キャラお約束「カツラ取ったら丸坊主」設定だけメタル水神坊にそのまま丸投げしてるあたりは笑いました。
徹頭徹尾最高にカッコ良くて色っぽい川原さんの清十郎でした。
ごめんね兵庫、今回断然私は極楽と清十郎さんのカップルを推します。



はい、どうしてもこの人の話を最初にしたかった。
続けます。



修羅天魔、大きな違いは

・初めから狸穴=家康の正体が観客には明かされていて、極楽=お蘭は彼の依頼で天魔王を狙う

・従来の捨之介ポジションを天海極楽(と一部清十郎)が担う

・従来の極楽太夫&蘭兵衛ポジションを天海極楽と夢三郎(夢虎)が二分する

・夢見酒シーン無し

・髑髏城脱出からの七人シルエット無し

他にも色々細々あるけれど、ラスト以外で大きなとこはこんなもんでしょうか。
並べてみると、本当思い切った変更。
夢見酒カットについては、毎度名シーン中の名シーンとはいえ個人的にはそこまで残念でもないのですが、
「狸穴の正体が二幕で初めて家康だと分かる」
あの無界襲撃場面の半端ない緊張感と驚きは知っていても大好きなシーンだったからそこは残念かなぁ。
あぁ、でも百人斬りは流石にきっちり残ってました。
夢見酒は無くても百人斬りがあれば僕たちの大好きな髑髏城。
今回は鳥髑髏に続く「全員参加型」!
でも残念ながらここは正直、鳥髑髏で感じた時のカタルシスには及ばなかったんですよね…。
「うんうん分かる、成志贋鉄斎の歌がなきゃアガらないもんね」
とかそういうことではないんだ。
そんなこと言ったらこっちにはあの最強スッとぼけカンテツ君のスーパーアクションが拝めるんだから差し引きゼロです。
刀鍛冶もタナカ鍛冶も甲乙付けがたく最高なんです。
そうじゃなくて、極髑髏はあの百人斬りの時点ではまだまだ七人の繋がりが希薄なんじゃないかと思うんです。
それぞれが互いに対して
「たまたま走る方向が一瞬だから」
を超えた情を芽生えさせるような、
「絶対にこの七人で成し遂げるんだ」
という決意が生まれるような個々の描写が、あの時点まで割と少ない。
今までの髑髏城にそれがあったかと言われたらここは各々の解釈によりますが、少なくとも私はあったと思います。
だから、大好きな全員参加型なんだけどそこが勿体無かったな。

そして逆に、だからこそあのラストが良いのだとも思いました。
今回の修羅天魔、最大の変更点。
1人立ち去ろうとする極楽太夫の元にまた皆が集まって、ここから無界の里をもう一度一緒に作ろうと誘う。
奇妙な縁でたまたま集まっただけの七人は、ここから本当に「七人」になっていく。
パラレルワールド的視点で見れば、これまで何度も天魔王を倒してはその度にまた何度も別れを繰り返してきた七人が遂に再び集まったんですよ。
28年の歴史で初めて。
そこで初めて、これまでの髑髏城で本来主人公であった「捨之介」の名が登場する。
そして浮かび上がる「修羅天魔」からの最後のタイトルバック「髑髏城の七人」。
これ以上のラストある?!?
髑髏城ゼロが実現しようとしまいと、ある意味これは最高の「髑髏城ビギニング」じゃないかと思いました。
全てはここから始まる七人の物語。
七人の絆も友情ももしかしたら愛情も、全部これから。
それまでの約三時間、劇場一周分の過去を三途の河に捨之介した極楽=お蘭もまた新しく、1人も欠けることなく7人の仲間と歩んでいく。
最後を美しく飾りながらも、しっかり始まりの物語になっていてお見事でした。

これまでの髑髏城で、七人がラストでそれぞれの道に別れていくのは爽やか痛快でありながらどこか切ない余韻、というか「隙間」がありました。
「隙間」という言葉が適切かは分からないけど、その隙間があるからこそ無意識に
「また彼らが出会って集まって何かを成して欲しい」
「このままずっと会わないかもしれないなんて寂しい」
と「続き」を求めてしまうところがあったんじゃないか。
今回の極髑髏を見てなんとなく、そう思います。
他の作品以上に再演されて、これだけ沢山のリピーターがいるのも一部はそのせいかなって。
演目自体の汎用性の高さに加えて
「まだまだ次が見たい」
と思わせられるラストになってた。

でも修羅天魔にはその「隙間」はないです。
七人が満を持して横並びで揃い、「髑髏城の七人」が完成する光景を最後の最後に見られるのは唯一、この修羅天魔のみです。
あれを見てあんなに胸が熱くなったのは、隙間が「閉じた」と感じたことに対するカタルシスが凄かったんだと思う。
七人での物語はまだまだこれから始まるし、無界がある限り七人はずっと一緒。
何があってもあの七人なら負けない。
何しろ個々でだってあんなに強かったんだもの。
あいつらが手を組んだら、ヤベェぞ。
そんな言葉も浮かんだりする。
それって寂しい切ないと感じる隙間がない。とても安心する。
それはもしかしたら、単独の作品として見れば埋めない方が良い隙間だったかもしれません。
でも髑髏サーガを完結させる作品としてならば、本当にこれ以上なく綺麗に閉じたと思います。


そして何より、その完結編で初めて
「蘭兵衛が裏切らない」
という世界線を見せてくれたことにも感謝したい。
それもこれまでと異なる形とはいえ、あの終盤の大事なタイミングで、天海祐希と古田新太という2人の最強の舞台人で。
毎回夢見酒で悲しい想いをしてきたイチ観客としても、何かが報われた気がしました。
いつか蘭兵衛が七人のシルエットに入る日も来てほしい、そんな物語も欲しかったと初めて97髑髏を見た時に感じた切なさが成仏しました。

それは半分は天海お蘭のおかげ、半分は夢三郎のおかげです。
これまで蘭兵衛という役が持っていた、殿に対する愛情や無界への慈しみ。
およそ「愛」「情」と名の付くものは全て天海極楽に受け継がれた。
その代わり、蘭丸が持っていた闇も歪みも、影の部分を一手に引き受けたのが夢三郎、改め夢虎でした。
今回ネタバレ避けしてよかった!と一番強く思ったのがこの夢三郎関連です。
私、てっきり彼がずっと従来の「極楽太夫」ポジションを走るものとばかり思ってました。
一幕終了時点で、彼の七人入りを疑いませんでした。
まさかの天魔王の息子だなんて展開に素直に驚かされて、そこから俄然先の見えなくなった物語が一気に面白くなりましたもん。
更に言えば、夢虎の正体を明かしても兵庫との友情を取って天魔を裏切る展開あり得るかな、とも思ってた。
でもそれ、あまり好きな展開じゃないな、とも。
だから、今際の際まで兵庫を始めとした無界への罵倒と見下しをやめないその一本筋の通った歪みっぷりがめちゃめちゃに心に刺さりました。
彼は本当に、本当に無界が嫌いで憎くてたまらなかったんだな。
一切の迷いなく兵庫の差し伸べる手を拒み続ける姿。
「俺は武士だ、お前らとは違うんだ」と叫び続ける言葉。
全部引っくるめて夢虎には「よかったね」と言ってやりたい。
だってそれは、偽りの姿であった無界の夢三郎がずっとずっと我慢して押し殺して来ざるを得なかったことでしょう。
そんな彼が初めて叫べた、偽らざる本音でしょう。
今度こそ彼自身が「こうしたい」と望むように出来たなら、無界にいた時より夢三郎は幸せだったんじゃない?
と、とても悲しくもあるけれど自分の中ではしっかり受け止められる最期だった。
ようやく思う通りに、自分の誇りに忠実な生き方/死に方が選べて良かったじゃないの。
そう暖かく、あるいは冷たく声をかけてあげたい。
客観的に見たら、やっぱり愚かだし凄く歪んでるんだけどね。
その歪みは絶対、兵庫の真っ直ぐさとは相容れない。
息子の自分すら捨て駒にするような、ただの影に過ぎない父親への無条件の尊敬と武士の誇りだけを抱いて、あれだけ自分を求めてくれた無界や兵庫は何の未練も情もなく切り捨てる。
そして最後は自ら腹を切る道を、ようやく自分の好きなように選べた。
夢三郎の最期に納得できた分、いよいよ兵庫の悔しさが沁みるのです。
あれだけ熱くてまっすぐな兵庫の言葉や拳が、あんなにも届かないなんてこれも全髑髏通して初めてですよ、きっと。
普段は可笑しい彼の空回りが、この時だけはこんなにも悲しい。
あれだけブレずに無界を憎んで嫌って兵庫の言葉もひとつも刺さらない夢三郎の姿。
それでも「必ず届くはずだ」ときっと彼本人だけが信じて必死に語りかける兵庫。
絶対にハッピーエンドとバッドエンドが交わらない義兄弟。
私が極髑髏で一番好きな場面のひとつでした。
そんな2人を演じた竜星涼さん、福士誠治さんにも拍手。
お2人とも新感線初だけど、次も待ってます!
特に福士さんは満を持して新感線で見られて嬉しかったぁ〜。
今回、兵庫は極楽やその他の人々の助けなく、自力で仲間を喪った絶望感から立ち上がるんですよね。
その姿は哀しいけれどとても力強くて、あの無界のシーンで今までとは違う涙が流れました、


夢虎は悲しいけど、髑髏党幹部は今回も愉快で良いですね!
エセミュージカルシーンは爆笑しました。
上手すぎて逆に笑えてきちゃうってどないやねん。
髑髏城、ありとあらゆるver.を繰り返すけど絶対にブレないことのひとつに、
「天魔王、NO.2以外の幹部の人選を必ず間違える」
がある(笑)
伝統的に、だいたい皆んなバカ。
もう一つ絶対にあったお約束
「伊賀頭領服部半蔵!」
のズッコケが今回はなかったのが残念でしたね。

あと、皆ちょっとずつあるいは全く変わってしまったのに
(善さんとかな!
贋鉄斎→狸穴→ぜん三というスーパー浮き沈み激しい髑髏人生よ)
あんただけはアオドクロからひとっつも変わってないなカンテツー!!
って愛おしさのあまり抱きしめたくなりました。
中の人はだいぶ歳上だけどカンテツの頭は撫で回してやりたい。手は切らないように気を付けて。
あのアクロバティック百人斬り、生で見られて最高です。
感動のラストですらマイペース。
それでこそ我らがカンテツ。
あと変わんないっつったら三五ちゃんですよねー。
裏切るタイミングだけは違ってたけど、めちゃくちゃ良いとこで裏切るやん。
好きだなぁ、彼の裏切り美学。
相変わらず髑髏党に馴染めないのも可愛い。
大丈夫、今回のエセミュージカル髑髏党にはあなたじゃなくても馴染めない。
贋鉄斎と三五ちゃんだけは毎回、1人で去っていく後ろ姿に切なさよりも痛快さを感じてたよ。
でも、あの2人ですら一緒にこれから無界で過ごすんだと考えたらワクワク100倍ですね。


演出面でもう一つ、これまでカーテンコールまで取っておいた一周ぐるりの演出を、極楽の回想シーンで使うのが最高に良かったです。
予想を裏切り期待に応える演出もすごけりゃ、あの図の中で1人立ち歩き続けて絶対に背景に負けない天海さんもヤバイ。
その代わりカテコは固定なんだね。
それもまた良し。
あと最初のタイトルバック、スクリーン代りの細かい雨を模したミストが天海極楽の周りだけ綺麗に晴れているのが見えてゾクッとしましたよ。
雨でさえその身を濡らすことを躊躇してしまうほどの圧倒的オーラと美しさ…。


最後にもう一つ、強く心に残ったのはやっぱり最後にお蘭と天魔王が対峙するところだなぁ。
あの場面、思い返せば返すほど、私は凄く天魔王が切なくなるんです。
各作品の私の天魔王評。
花が妖、鳥が人間、風が亡霊、月が夢追い人なら極天魔王はまさに劇中で言われた通りの「影」でした。
影だから本体にどれだけ似ていても、決して触れられないんですよ。
それが唯一の求める相手だとしても。
でも、いつのまにか影自身も、自分が影であることを忘れていくの。
そして、触れてはいけない相手に触れてしまったから影だと知られてしまう。
ってお伽話の悲劇的結末みたいな。
あの天魔王の結末を、最後に詰めを誤った甘さ愚かさと捉えることも出来るかもしれない。
でも、欲しくて欲しくてたまらなかっただろうお蘭に触れたことで正体を暴かれてしまう影、という切なさが先に来てしまった。
悲しい、悲しいよ古田天魔王。
そして同時に、お蘭と殿との関係についても想いを馳せて更に切なくなった。
天魔王/影がお蘭に口付けたということはきっと、殿に対する彼女の想いを天魔王は痛いほど分かってたんでしょうね。
彼女が殿に向けた気持ちはただの忠誠心だけじゃないって。
お蘭のことだから隠そうとしそうだけど、隠し切れないくらい。
それでも指一本触れなかった信長、お蘭のことが本当に本当に大切だったんだろうな。
そしてお蘭にしても初めて口付けされたことで、逆にそれが本当に愛した相手はもうこの世にはいない、二度と会えないことの証明になってしまうなんて、辛い辛過ぎる。
天魔王の口付けが蘭を夢幻に誘うのではなく、蘭の夢幻を覚めさせた。
これまでの夢見酒とは対になるシーンでしたね。

しかし、実際はハッタリだったとはいえ「実は本能寺より前に死んでいた信長に成りすまして一人二役を演じていた」発言にはニヤリとしてしまいました。
一人二役、古田新太が信長の影武者として一人二役演じる、昔あったそんな名作舞台知ってるよ。
「髑髏城の七人」って言うんですけどね。



書きたいことはたくさんあるけれど、既に観劇から日も経って記憶が曖昧に。
ライビュも行けなかったし千秋楽ライビュも難しそうだから、私の極髑髏はこれきりです。
とりあえず初見に感じたあれこれは絶対に残したかった。


こうして私の髑髏城巡りは終了です!

花:2回(+ライビュ1回)
鳥:5回
風:2回
月:上2回、下1回
極:1回

多いか少ないかは人によるかもしれませんが、私としては通ったなぁという感じです。
どの髑髏も楽しかった。大好きだった。
ただどうしてもマイフェイバリット1を選ぶなら花髑髏かな。
あまりの完璧具合と蘭天の良さ、そしてカーテンコールの格好良さに初見ぶっ飛んだ衝撃が忘れられない。
はよゲキシネくれ。
スタッフキャストにお疲れ様を言うのはまだ早いとして、さぁ7年後ですよね(そっちのほうが断然気が早い)
パンフ読む限り、やるやらないは微妙なとこ?
2025年は45周年イヤーの筈だし、私は劇団員総出演の「バカ髑髏」をやってほしい(笑)
きちんと劇団員の皆様が揃ってカーテンコールに立つ姿が観たい。
「髑髏城の七人」という演目は大好きですが、それは
「新感線の演目で、新感線の劇団員が出ているから」
ということとやっぱり私は切り離しては考えられないし、それが叶わないなら髑髏城の新作よりも新感線の新作が観たいなぁってのが正直なところです。
まぁ、とりあえず、悔いのないくらい髑髏イヤーは楽しみ尽くせました!
次はメタマクでまたグルグルします!