人としゃべっていると,その話に割りこんでくる人がいる。
割り込んでくると言うよりも
今まで話をしていた内容と全く違う話をはじめて
その上その話は止まらない。
これまで友人関係だった会話に支配者が生まれる。
とにかく言いたいことをダダダダダッと話し続ける。
これまでしゃべっていたことが中断されるので
なんだかもやもや。
これまでの話を続けようとしても至難の技。
こんなときは結局,自分も話していた相手もだまって
割りこんできた人の話を止まるまで聞くことになる。
結構長い。
最後までしゃべりたい。
最後まで聞きたい。
こんなときってどうしたらいいのだろう。

会話の支配者 / かのんの日記 2001年4月17日

 これ、私自身にも時々当てはまる事があるので、ちょいと耳の痛い話です。さすがに他人の会話にいきなり割り込むことはない(……はず)ですが、話している最中に変なスイッチが入って、「とにかくここまでは伝え切らないといけない」みたいな変な強迫観念に駆られてしまうことが、時々あります。特に職場での上下関係に基づいた会話でこれが出てしまうと、後で「あぁ俺はいったい何を喋っていたんだ」と頭を抱えて落ち込んでしまうことに。きっと私に喋られた側は後で唖然としていたでしょうが、喋ってしまう側の私も「こんなときってどうしたらいいのだろう」と思ってしまいます。
西荻窪駅前。夕焼けがきれいでした。

「夕焼けこやけで...」 / 増田新の写真日記 2002年9月22日

 夕焼けに限らず、美しい自然現象はその時々の気象条件等に従って都度現れるだけで、似たような景色が現れることはあっても、まったく同じ現象が再現されることは二度とありません。すべての景色は一期一会。自然現象に限った話ではありませんが。

だいぶ前に私が撮ったこの夕暮れも、まったく同じ光景が見られることは二度とありません。
2年位前、
私も『真夜中のペンキ塗り』をしたことがあるのです。
実家に居る頃から使っていたタンス、
なんとなく和ダンスみたいな風合で、
部屋ではどうしても浮いた存在でした。
捨てちゃおうかな、と引越しのたびに思いながらも、なかなか捨てられなくて、
「そうだ、捨てる前にいっそ塗り替えちゃおう!」と思いついたのです。
(略)

ある夜、どうしても眠れなくて
深夜1時を過ぎた頃、
ふとペンキの事を思い出し
ベッドを抜け出してついにペンキ塗りを決行!
(略)

翌日。
朝、引出しをあけようとして重大なミスに気付きました。
ずぼらをして
引出しを閉めた状態で塗ったので
ペンキがくっついて引出しが開かない!!
どうしよう、洋服が取り出せない、と
出勤時間を気にしながらあせる私。
ついに、マイナスドライバーを持ち出して、
てこの原理でこじ開け、
せっかく塗り上げたタンスは
わずか数時間後に無残にも傷だらけとなってしまったのです。

【急がば回れ】
私はペンキ塗りという作業を通じて
このことわざの意味を身を持って感じたのでした。
ちなみに
今でもそのタンスの開け閉めは困難です。

大事な事はペンキ塗りで教わった / かときょんのさらさら日記(KBCアナウンサールーム) 2002年4月16日

 その時の勢いで何かやってしまうと、後で大きく後悔してしまうこともしばしばあります。とはいえ、その勢いが無いと前に進まないこともあったりするもので……。
今日は、ユーマとカズと一緒に家のお片づけ。2人とも、なかなか、片付けるのが上手になりました。片付け終わった後は、仮面ライダー555ごっこをして、遊んでおりましたが、ユーマと2人でカイザーとかいうんでしょうか?仮面ライダーの強い方らしいですが、それをどっちがなるかでもめておりました。結局は、強情なカズがそれになって戦っていました。
戦ってはいるのですが、お兄ちゃんが勝つのは当たり前。でも、カズは真剣にカイザーになってる、こっちの方が強いんやと主張し続けております。子どもと言うものは本当に面白いものですね。でも、大人も肩書きや所属している組織によって、自分が大きな存在だなどと思い上がっている人もいるので、人間と言うものは結局そういうものなのかもしれません。
年齢や先輩後輩、民族、人種、自分が所属している場所に優越感を持つ。悪いことではないのですが、そういう人に限って、困った人が多いもの。これからの時代は、組織に頼らず個人の力量を磨くことが大切だと思うのですが・・・

新米パパのでたらめ日記 2003年5月11日

 子供の仮面ライダーごっこ遊び程度なら可愛いものですが、何か外から借りてきた属性を背負って、自分の方が優れた属性を持っているから自分のほうが優先されるべきだと主張する光景は、大人の世界でも時折り見かけます。あるいはその属性を盾にとって、自分のほうが優遇されて然るべきなのにそうなっていないのは乾巧って奴の仕業……もとい他の誰それのせいだ、と言うような光景。とはいえ、異なる立場的主張が複雑に入り組んだ形でぶつかることのある社会生活の中では、何でもいいからとにかく自分が優位に立つための材料をどこからでもかき集めて「戦わなければ生き残れない」(これは555ではなく前作のキャッチフレーズですが)、という切羽詰まった発想に陥りがちになることもあります。
昨日は産学連携の件で伊丹へ.企業の人といろいろとお話をする. 「汎用ロボットというのはいつごろ実用になるもんでしょうか?」 との質問.これは予測できんのです.なにせ物性やら工作やらの場合 は物理法則という基本方程式がわかっている(原理的にはという意味. ミクロにはわかっていてもマクロにみたときにどのような記述になるか というはまた別問題なので研究の余地があるわけだ)ので,だいたい 実用化の時期というのが予測できるものもある.しかし人工知能の世界 となると基本方程式はない.見つかることに悲観的な見方も多い. 決められたsymbolの世界はきれいなのだが,現実の世界(パターンの世界) ははるかに汚い(というかバリエーションが数えきれない.基本的に 同じものはひとつとしてない).これをどううまくあつかうかについて 狭い世界に限ってのアプローチは山ほどあれど,人間の住む世界まで ひろげられる一般性のあるアプローチは見つかっていない.ある日突然 見つかるかも知れないし,地道にちまちまとひろげていくしかないの かもしれない.これでは「いつごろ?」といわれても予測不可能なのだ.

Nobutaka SHIMADA's Homepage 2002年2月7日

 家電製品のように、比較的単純な動作の機械を作ってそれを人間社会に持ち込んで使用する場合、具体的な動作については人間の手で操作することになるのでそれほど問題にはなりませんが、動作そのものを機械に自律的に判断させるとなると、現実世界のありようの複雑さに関する認識と判断が直接機械にかかってくるため、認識・判断対象が多様すぎて理論的に単純化できないのでしょう。最近では「ルンバ」等のロボット掃除機のように、部分的には現実の世界そのものをロボットに直接取り扱わせる技術も実用化・商品化されていますが、これも室内の掃除という「狭い世界に限ってのアプローチ」であり、汎用人工知能への道のりはまだまだ遠いのかもしれません。