表題と関係ない話ですが、

たまアリのすのトラなにわ(だっけ)のコンサート外れた~。・゚゚・(>_<;)・゚゚・。

横アリよりずっと近いから行きたかった~~えーんこのところなにも当たらないーー

 

さて

 

先日BSで「スワンの恋」という映画をやってて、「あ、「失われた時を求めて」の最初のほうの話だな。「失われた時を求めて」をよく知らないから見てみよう」と思って見てみました☆

 

プルーストの小説「失われた時を求めて」については

かなり前に読んでみようかなーと思って図書館で借りた本をパラパラとめくったことはあったんです。

あと、あらすじにざざっと目を通したこともあった。

でもその時は、いったいどういう時代でどういうことかもなんだかさっぱりわからなかった。ちんぷんかんぷん。

(自分の方に、「失われた時を求めて」に描かれている場所と時代への知識がなかった)

 

でも映画ってすごいですね。

映画で見たら、どういう時代でどういうことを言ってるのかだいぶわかった!

少なくともちんぷんかんぷんではなくなった!(^^;

 

、「失われた時を求めて」についてちょっと思ったことを書いてみようと思ったけど、そもそも原作をちゃんと読んでないし、そのごく一部の映画化作品を見ただけだからかなりトンチンカンなことを書くかもしれませんがよろしくお願いしますm(__)m

 

まずとっかかりとなった映画「スワンの恋」について書くと、

ずっと、スワンってなんか白鳥と関係ある比喩なのか?と思ってたら、ただの苗字だった(^^; シャルル・スワンっていう人名。(そこから!?)

長大な「失われた時を求めて」の中の最初の方に入ってる話ですけど、全編の主人公である「わたし」が少年の頃ジルベルトという少女に恋をするのですが、そのジルベルトの父親がシャルル・スワン。

そして映画「スワンの恋」はそのシャルル・スワンが若き日にオデットという女性に恋をして、いずれ二人の間にジルベルトが生まれるという話。

たぶん、映画としては有名でもないしたいした映画じゃないかもしれないんだけど、当時のパリ社交界の様子を再現して見られて、「なるほど!」と思うところがいっぱいありました。

 

「わたし」がプルースト自身とすると、その親世代のスワンが若い頃は1850年頃。

スワンは最上流出身ではないユダヤ人ブルジョワ(らしい)んですが、現代人の目からすると、そのお金持ちぶりが半端ない!

まず冒頭がスワン(ジェレミー・アイアンズ)が起きて身繕いするところから、「あ、伊達男ってこうなのか!」と思わされる。

昼過ぎに起きて床屋が来ていて髪のセット拡大鏡のある三面鏡で眉を整える。シャツはいつもしわ一つない純白のシャツ、すべて申し分のない服装、そして御者付きの馬車。

上流のサロンの人たちの集まるところはどこもピカピカでいろんなタイプの馬車と馬と御者。(ああいうのに昔のエルメスの馬具とかが使われてるんだろうと思う)

「馬車が買いたい!」という、フランス文学者鹿島茂先生の本がありましたが、そのとおり、これじゃ素敵な馬車と馬と御者がなければかっこ悪くてどこにも出歩けません(^^;

 

女性の方はバッスルスタイルでみんな髪を縮らせてふんわりお団子にしてました。プライベートになるとそれを降ろすのでそこにギャップ萌えがある(^^;

 

そういう上流社会の面々でサロンで夢中になって音楽を聴く。あーーこういうサロンがあるから19世紀の芸術は発達したのだなーとなんか納得しました。

 

スワンは芸術に造詣深く、とにかく金はある完璧な伊達男なので(無いのは爵位だけと言われていた)、ユダヤ人でも上流の奥様に気に入られていい扱いを受けている。

 

しかし今スワンの心を占めているのはオデットのことだけ。

 

オデットはナイスバディでコケティッシュな美女。

でもナイスバディでコケティッシュ、のステロタイプみたいなところがあって他に特にどこがいいということもないのですが(ピアノは弾けてた)、スワンは彼女が女性と遊んでいるのではないかと疑っている。レズ的なことで。ほんとうなところもあるみたいなんだけど、男に対する嫉妬より、レズに対する嫉妬の方がすごい。

 

なんだかんだスワンの懊悩があって、最後スワンは親友シャルリュス男爵(演じるのは40才くらいのアラン・ドロン。名門貴族だが奇矯な人物)にもうオデットはどうでもいい‥というような感懐をもらす。それも嘘でもなさそうなのだが、

そこで映像がゆらめきだし、スワンは年を取り、

あれだけ豪勢で気取りに気取ったサロンの人たちも年を取り始めて、時代は馬車から自動車に変わろうとしている。

スワンは杖をつきつつ、昔と変わらず元気な、自分を気に入ってくれていた上流夫人(サロンの主催者、ゲルマント公爵夫人オリアーヌ)のところに行き、自分は病気で来年まで生きられないだろうと話す。自分の娘を馬車に待たせてあるとも言っていて、スワンはほんとうは、公爵夫人にその娘ジルベルト(10才くらい)に会って欲しいのだ。しかし公爵夫人はスワンに同情はするものの、他のことは一切言わず出かけてしまう。夫人はあとで夫に、スワンは友人だけれどスワンの妻や娘には絶対に会わないと口にする。

結局スワンはオデットと結婚したのだが、オデットは上流社会の男を相手にする高級娼婦だったので、スワンはサロンでの地位を低くしてしまったのだった。

映画は、スワン夫人となったオデットが陰で悪口を言われながら凱旋門のほうへ(たぶん)歩いて行く姿で終わり。

小説のファンだったら、ああこのジルベルトに主人公が恋するんだなーと思いながら見るんだろうと思います。

映画を見ただけだと、このあとスワンは死ぬのかな、それとも病気はジルベルトを公爵夫人に目通りさせたいため大げさに言ったのかなと気になります。(と思ったけどそのあとシャルリュスと話してる内容からすると死を身近に感じていたのは本当)

 

この映画を見た後Wikiやサイトなどで知ったことによると、

主人公(わたし)のジルベルトへの気持ちもやがて冷め、ジルベルトは主人公の友人であるサン・ルーと結婚し娘を生む。サン・ルーはゲルマント一族の青年だったので、そのふたりの娘に至って、スワンとゲルマント一族の融合が果たされる‥みたいな感じがあるみたいでした。

(20世紀を代表する大小説ですから筋立てだけが大事なわけではありませんが)

そしてゲルマント伯爵夫人のサロンの他に貴族にバカにされていたブルジョワの夫人のサロンがあるのですが、そのサロンの女主人はゲルマント公爵の親戚のゲルマント大公の後添えに収まる、みたいなことなようで、へえーそういうことだったんだ!と今頃あらすじを理解しました。あらすじは前も読んだけどそんなことすらわかってなかった(^^;

有名なことですが主人公はあるときプティマドレーヌ(貝型のやつ)を紅茶にひたして食べようとしたときに昔の記憶がよみがえり、小説の最後には、今までの自分の生きてきて見てきたものを小説にしよう、と思い定めるらしいです。(それが「失われた時を求めて」)

 

オデットみたいな女と結婚して社交界の地位を落とすなんてつまらないなーと、見てると思ってしまうのですが、スワンは完璧な伊達男だけれどもユダヤ人で、ほんとの名門の娘とは結婚できないか、する気が起きないのかもしれないなー。プルースト自身もユダヤ人だそうです。

 

ついでに言うと作者プルーストは同性愛者で、この小説も途中から、あの人もこの人も同性愛者だったってことがわかるそうです。(男も女も)

主人公の思い人として何人か女性が出てくるけどモデルは男性らしい。(スワンの恋人であり奥様になったオデットのモデルも男性だそうです)

 

あと映画を見ていてすごく思ったのは、人を雇う側の上流の金持ちと、雇われてる階級の描かれ方。

お金持ちは自由にふるまうけど、自分一人では身支度一つ出来ないから、どんなことをしてるときも(恋愛中も)召使いがそばにいたりするのです。(執事もいました。執事も大事だけど馬車の御者もとても大事な存在なんです。出歩くとき御者には自分がどこにいくか(悪所にも行くから)全部丸わかりですから)

誰でも召使いがいなくても生活できるように‥と文明は発達したのだなーと思いました(^^;

 

・あ、あと、マンガ「風と木の詩」って「失われた時を求めて」の影響が強かったんだなって思いました。