「OUT」を読んで、桐野夏生って世間で評判の割につまらないものを書く人なんだなーと思い、他を読む気はなかったのですが、たまたま「「グロテスク」は凄くおもしろい」という評を読んで興味が惹かれました。興味が惹かれた一番の要因は、この小説が、実際に起こった「東電OL殺人事件」に想を得たらしかったからです。私は、「ほんとうにあったこと」に弱いので。
あらすじ。
「わたし」とユリコは日本人の母とスイス人の父の間に生まれた姉妹である。母に似た凡庸な容姿のわたしに比べ、ユリコは完璧で怪物的な美貌を持った美少女だった。
ユリコを嫌うわたしは高校受験をして有名な「Q女子学園」に入り、そこで佐藤和恵やミツルと知り合う。ユリコと離れられたわたしは幸せだったが、両親とスイスに行ったユリコが母の自殺をきっかけに日本に戻り、帰国子女として(実はその美貌の故に)同じQ女子学園に入ってきてしまう。金もなくニンフォマニアでもあったユリコはそこで売春をし、退学になる。
それから20年ほど後。高級娼婦から街娼に身を落としたユリコは売春中にチャンという中国人に殺された。しかもそれからしばらくして、昼間は大手建設会社で役職に就きながら夜は街娼をしていた佐藤和恵も殺される。和恵殺しの犯人も同じチャンらしい。
わたしは40になってまだ処女だったが、現在はユリコの残した美貌だが目の見えない少年ユリオをひきとり、ユリオと共におのれもまた街娼になろうとしているのであった……。
(とばし読みのところもあるので少し違ってるかもしれないです。「わたし」にも名前があったかも知れないけど忘れちゃった(^^;))
あらすじを読めばわかるように、「東電OL殺人事件」のモデルとかぶるのは「わたし」の友達の佐藤和恵です。また「Q女子学園」は慶應の女子部をモデルにしてるように読み取れます。
わたしがとてもおもしろく読めたのは、物語のほぼ半分のところまで。「わたし」たちが子ども時代からQ女子学園で有形無形の外部生差別のなかを生き抜くところには(頭の良い女子高生達が理路整然とおのれを語る様はいかにもお話的ではあったけれど)リアリティがあった。
それからチャンの手記、というところになると、「桐野夏生って若い日系ブラジル人とか中国人とか、なんかそういう男の人が好みなんだろうなあ」とややウンザリ。
「目は見えないが美貌の少年ユリオ」っていうのもそういう設定だけ聞けばおもしろそうだけど、いかにも少女マンガ的な読者サービス的キャラでリアリティがなく物足りない。
対して、特に男性として魅力ある人物とは描かれていない嫌味なスイス人の父親、ちょっとしか出てこないが和恵の父親などの、年の行った男性の嫌な感じがうまく描写されていて、登場人物として魅力があった。
特に、和恵の父親は、実際の「東電OL殺人事件」でも重要な位置にいる人物であるし、あれだけの登場ではなくもっと描いて欲しかったと思った。(とはいえ、彼は20年も前に亡くなっている人物なので取材するのも難しいでしょうが)
あと、「わたし」のおじいちゃんは、小説全体から浮くくらいかわいげのある愛すべき人物に描かれている。おじいちゃんと暮らしているときの「わたし」も、他の部分とは別人のように溌剌と活躍している。どうも「わたし」のキャラクターに一貫性が欠けているように思う。
(語り手によって「わたし」像が違うようなのでそれはそれでいいのかもしれないが)
女性登場人物では、美貌のユリコが魅力的に描かれていて、彼女のところの話はおもしろかった。ユリコは自分で「生まれついてのニンフォマニアで男が居ないと生きていけない」というように言うのだが、冷静に見て、親に捨てられたも同然でお金もなくひとりで日本に帰って金のかかるQ女子学園に入った彼女は、居候させてくれているジョンソンと寝たり、お金を稼ぐために売春するしか生きる方法はなかった。
親にお金がないのに親から離れQ女子学園に入ったわたしとユリコは、実際問題として、学園内の競争から身を引いて悪意をとぎすまさせたり(わたし)、売春で金を稼ぎ男にもてることを楽しむ(ユリコ)しか生きるすべは無かった。のであるのに、幼い二人はその客観性には気づかず、「自分はそういう人間である」とうそぶいて身を持ち崩していく、ように、わたしには見えた。その無知は哀れであるような気がする。
ユリコは美貌ではあるがすぐに男と関係する性質から、モデルなどの仕事は続かず、高級娼婦となるが、年と共に美貌も衰え、35、6くらいの時には街娼になっても気味悪がられたりして、ついにチャンに殺される。(ここらへんも、神がかりの美少女がまだ30代くらいでそんなに衰えるのかなーと不思議だった。太りすぎたり痩せすぎたりすれば違うだろうが)
佐藤和恵が街娼になるいきさつは、彼女の手記で明かされるのだが、自分がかなりとばして読んだせいか、ちょっと粗かった気がする。彼女こそ「東電OL殺人事件」の被害者をモデルにしたキャラクターで、読書の興味の焦点であったのに……。
ただ、この小説だと、彼女が壊れはじめるのはQ学園にいたときに「わたし」の悪意から「プロバビリティのいじめ」を受けたから、というような感じに読める。実際の事件の被害者も拒食症だったらしいのだが、この小説のように、高校の時から拒食症を発症していたのだろうか?
というか、しかし、「わたし」のプロバビリティのいじめ」というのも、Q女子学園に蔓延する外部生イジメという温床があったからこそ成り立ついじめであって、大きなイジメのなかの小さなイジメには過ぎないのである。
タイトルの「グロテスク」とはなにを差すか。私には、愛らしい女子高生達が公然と不器用な新しい仲間を差別する構造、そここそがこの小説の一番のグロテスクだなあと思った。男の子は社会に出ればもっと頭のイイヤツはいくらでもいると思うから歯止めがあると思うんだけど、女の子は難しいね……。
<font style="color:#6565FF;">ただしもちろん、実際の「東電OL殺人事件」において、どんなグロテスクな出来事をきっかけに被害者が昼間はエリートOL、夜は売春婦という生活になったかはわからない。
実際の事件の被害者は大学生のとき東大出のお父さんが東電で役員入り寸前で(と言われているらしい)病死、その後は慶應を出た被害者が女性エリート候補生として東電に就職。お母さんも妹も名門私立女子大出。この頃は良くある「理想的な子」の自己崩壊の先駆けのようなものだったのかもしれない。突然だけどなんとなく、被害者には、山岸涼子の「天人唐草」の主人公のような経験があったのかなあと思った。(「性に興味を持つな、勉強だけしていればいいんだ」と言われたのを素直に受け取って成績優秀に育ったが、大人になって気が付くといつのまにか女性の魅力を持っている人が評価されているのに自分にはそれが無く、しかも「性に興味を持つな」といった本人に「なんでおまえは女らしくないんだ」とけなされたりして自己崩壊に至るとか……)ラスト、金髪のロングヘアのかつらをかぶった「天人唐草」のヒロイン・岡村響子と、黒いロングヘアのかつらをかぶって売春した渡辺泰子の姿はかぶる。ただし、私は今は、もしかしたらマンガの岡村響子はあのあと正気を取り戻して立ち直ったのではないかという気がしている。現実の事件で驚くのは、被害者が売春をしていたことを、職場の同僚も母親も知っていたということだ。</font>
<font style="color:#FF0033;">あと、「幼稚舎から大学まで慶應の女性」というと、二谷友里恵が思い出しました。
彼女の「愛される理由」を読んだときの、ある種怪物的な衝撃、こういう本を書く精神を生み出す土壌ってなんなんだ?と「???」だったんですが、「グロテスク」でのQ女子学園の描かれ方を読んで、かなりわかった気がしました。代々入ってるわけでも家柄がいいわけでも超お金持ちでもないのにこういう学校に入るってものすごい屈折があるんですね……。「怪物的な美貌」というのは、彼女の方じゃなく、彼女と結婚した当時の郷ひろみの方にあったと思いますが……。</font>