私は、毎日午後1時ころから小平市の公民館でエッセイや小説などを書くために出かけている。老後になると、なんらかの創造的な活動をすることが、心にも体にもいいそうだ。その活動は、絵やイラストを描くこと、楽器で演奏すること、作曲すること、小説を書くことなどなんでもよい。作品を作り始めるとドーパミンが出て、心が燃えてくる。機を織り始めると、神様が糸を出してくださるのだ。

「こんな一番暑い時刻にでかけなくてもいいのに」と妻はいう。だが、年を取ると習慣が何より大切であり、一度ルーティンにしてしまえば、苦労なくできるからだ。

連日の36度の猛暑の中、くらくらすることもあるが、汗びっしょりになって公民館の小道まで20分ほど歩く。その小道は、大きな桜並木とケヤキ並みの幅2メートル、長さ40メートルぐらいしかない。晴れた日の小道には、いつも木漏れ日が躍っており、心も踊る。そこは、公民館の建物と並木の間をいつもビル風のような涼しい風が吹き抜けている。

小道の中ほどにあるベンチにつくと、私は目を閉じて横になる。下半身や顔の上を冷たい風が吹き抜けていく。まさに天国のそよ風だ。目の上には、桜の少し大きな葉とケヤキの小さな葉が折り重なって風に揺れている。空の青さと葉の緑のコントラストが実に美しい。この風に吹かれていると、心の底から「ああ生きていてよかった」、「男に生まれてよかった」と思う。

そして「風立ちぬ、いざ生きめやも」という言葉が浮かんできて、腹の底から「さあ頑張ろう」というやる気がこみあげてくる。ここは、私の血管に青春の若い血をよみがえらせてくれる魔法のベンチなのだ。秋には、たくさんの枯れ葉が私の体の上に舞い落ちてくるだろう。冬には、ベンチの座る私のコートの上に粉雪が降りかかるかもしれない。どんな大雪であっても、私は毎日この公民館に来るつもりだ。そして、来年の春には、桜吹雪が私の顔や体に舞い落ちることだろう。75歳の私はあと何年桜を見ることができるだろう。

このベンチに横になっているこの15分が私の一日で一番幸せな時だ。幸せって、人知れぬ小さなところにあるものだとしみじみと気づく。こんな時間が、パチンコやマージャン、テレビゲームよりも楽しいと思える自分がいいやつだなと思う。これからの年金生活は、お金のいらないささやかな幸せな時間を増やしていきたいと思う。こんな孤独の時間をこれからじっくり味わってみたい。大きな喜びより静かな心の平和が欲しいのだ。「こんな自分、とても好きだよ」と、私は無意識に自分にささやいていた。