私は藤沢周平の「たそがれ清兵衛」を読んだ。40枚ほどの短編小説であったが、心にすがすがしいものが残ったので、その後、山田洋二監督の映画を観に行った。
たそがれ時になると、清兵衛は急いで帰り、病身の奥さんのトイレの世話をし、それから掃除、洗濯、ご飯の支度で忙しいので、たそがれ清兵衛といわれる。最も印象に残る場面は、奥さんが寝ている部屋の敷居のところで虫かご作りの内職をしながら、妻の話を聞いている場面があるが、それが人間の幸せの原点があるように思えた。
話しているのはほとんど奥さんの方で、清兵衛は、時折返事を返すだけである。一日中城に勤めている清兵衛よりも、寝ながら外の声を聞いている妻の方が世間を知っていた。妻が寝ると、本格的に内職に精を出し、奥さんを山の湯宿に連れて行きたいと思っている。
清兵衛は開く家老を上意討ちするよう藩の重役達から命じられるが、病気の妻の世話があるといって断る。清兵衛は、他の誰との関係よりも、夫婦の関係こそが、人生の成功と幸福にとって大切なのだと訴えている。
映画では、すでに清兵衛の妻は死んでおり、呆けの始まった母親と、二人の小さな女の子と貧しい暮らしをしている。私の好きな場面は、幼なじみで出戻りの朋江(宮沢リエ)と二人の女の子が、わらべ歌(手つき歌)を囲炉裏の側で歌っており、それ聞きながら内職している清兵衛(真田広之)の姿が実に幸せそうに映されている。まさに幸せの原点だと思える。子供の喜ぶ顔を見て、親は幸せな気持ちを味わう。
藤沢周平も「昔は大人も子供も囲炉裏のそばに集まった。停電の夜は子供が親に昔話をせがむ機会でもあった」と書いている。妻と私も子供たちが小さい頃には、毎日寝る前に蒲団の中で本を呼んだ。いつも同じようなものを読まされるのでテープに吹き込んだが、子供達は肉声でないと満足しなかった。私自身幸せなときを思い出そうとすると、日の長い夏のも、まだ明るいときに帰ってきた父と一緒に家族そろってそうめんを食べた記憶である。私達の子供の頃、家族揃ってみたホームドラマがはやらない。「7人の孫」や「パパは何でも知っている」など。
かぎっ子といわれた子供たちが親になっているので、家族の団欒の大切さがわからない。父親は夜遅く帰って顔も見えず、日曜はゴルフ、たまに家にいても書斎に閉じこもってしまう。バブルの時期からだろうか、男たちは忙しすぎで、家族で食事をすることができなくなった。私たちサラリーマンは、より多くのお金を稼げば幸せになれると信じ、会社人間になったが、今幸せだろうか。現代の日本は、子供たちが自分の部屋に閉じこもり、一家の団欒の風景がなくなり、家族が崩壊してしまったように見える。家族の人間的な結びつきが弱まり、家族はあるが、家庭がなくなった。
歴史を振り返れば、家庭生活が崩壊した後に存続した社会など一つもないことがわかる。オウム真理教や一部の社会主義国家などで子供を親から引き離し、集団で育てようとしたことがあったが、うまくいくとは思えない。家庭を守るのは、女の仕事だと割り切っては行けないと、清兵衛が言っているように思える。