新訂増補「鎌倉政権上級職員表」 その9-北条高時 | 日本中世史を楽しむ♪

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―武士道と云は極道と見付たり。―

 けふは、得宗ラスト、高時ね。


 わしゃ、こやつの伝記を書かねばならぬのじゃが、史料が少なくて、正直、人柄がよくわからんで、困っておる。


 『太平記』の記述をどう扱うかが、カギになろう。


 『太平記』に相当のデフォルメがあるのは間違いなかろうが、高時が田楽や闘犬に凝っていたのは金沢貞顕書状や『二条河原落書』など他の史料で確認がとれる。


 金沢貞顕書状で、病弱であったこともわかる。


 じゃが、病弱な人が必ずしもモノ静かな性格とは限らぬ。


 エネルギッシュで病弱な人、強気で病弱な人、元気で病弱な人というのは、実際、存在するのである。
 つまり、病床で強気な発言をしまくるとか、やたら元気なのに、すぐ寝込むとか、そ~ゆ~人は、いるでせう?


 キャッチ・フレーズは、「歌って踊れる副将軍」。


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№9 北条高時(父:北条貞時、母:大室<安達>泰宗女)
01:嘉元1(1303).12.02 生(1)
02:延慶2(1309).01.21 元服(7)
03:応長1(1311).1.17 小侍奉行(9)
04:応長1(1311).06.23 左馬権頭・叙爵
05:応長1(1311).10.26 服解
06:正和1(1312).02.04 復任(10)
07:正和5(1316).01.05 従五位上(14)
08:正和5(1316).01.13 兼但馬権守
09:正和5(1316).07.10 執権(判始)
10:文保1(1317).03.10 相模守(兼左馬権頭)(15)
11:文保1(1317).03.27 辞但馬権守
12:文保1(1317).04.19 正五位下
13:文保2(1318).02.08 評定始・着政所(16)
14:文保2(1318).02.12 引付・評定出仕始
15 元応1(1319).02.  辞左馬権頭
16:元応1(1319).10.03 意見始(17)
17:嘉暦1(1326).03.13 出家(法名崇鑑)(24)
18:元弘3(1333).05.22 没(31)
 [典拠]
父:分脈。
母:間記。北次第。分脈。
01:北次第。鎌記・正和5年条等記載の年齢とも一致。
02:鎌記・正和5年条。北次第。
03:鎌記・正和5年条。北次第、20日「小侍出仕始」とす。
04:鎌記・正和5年条。北次第。武記・正和5年条、「正応」と誤記。
05:鎌記・正和5年条。
06:鎌記・正和5年条。北次第。
07:鎌記・正和5年条。北次第。
08:鎌記・正和5年条。北次第。
09:分脈。鎌記・正和5年条。北次第。武記・正和5年条。開闢。大日記(生田美蓄蔵氏所蔵本)・正和5年条、出仕始とす。
10:『花園天皇痕記』文保元年3月10日条。鎌記・正和5年条。開闢。北次第。武記・正和5年条、7月とす。大日記・文保元年条、16日とす。
11:開闢。
12:鎌記・正和5年条。北次第。
13:鎌記・正和5年条。北次第。
14:鎌記・正和5年条。
15:北次第。開闢,文保元年3月27日とす。
16:武記・正和5年条。
17:鎌記・正和5年条。北次第。武記・正和5年条。鎌記裏書・嘉暦元年条。大日記・嘉暦元年条。開闢、法名「宗鑑」とす。分脈、15日とす。
18:太平記・巻10「高時井一門以下於東勝寺自害事」。北次第。開闢(25日とも)。

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