我が家は、夫が7年以上前に突然いなくなり、その後まったく連絡が取れなくなって失踪してしまいました。
子供が上の子は2才、下の子は0才のときでした。
今現在も、連絡は全く取れませんし、どこでどうしているのか、生死すら不明な状態です。
車だけは当時、富士の樹海の中で見つかりました。
夫がいなくなった当日から現在までの経過は、今までのブログに載せているので、もしよかったら、読んでみて下さい。
先日、自ら本名を名乗り、約50年の逃亡生活の末、亡くなった指名手配犯桐島聡という方の、ニュースを今日も目にしました。
このニュース、どうしても夫と重なるんですよね。
夫は罪を犯して居なくなったわけじゃないから、指名手配犯ではないのですが。
でも突然いなくなったこと自体がある意味、私と子供たちに対する罪で、全国に指名手配でもして探してほしいと思っていた時期も確かにありました。
もちろん無理だから、諦めるしかなかったけれど。
この桐島聡という人も、逮捕されたくないという理由があって逃げていたわけだから、
夫にも、居なくなった理由、帰ってこない理由があるのだろう。
どこかで亡くなって朽ち果てているのかもしれないけれど。
もし生きているという前提で考えるならば、先日見かけたこのニュースの記事は、夫の状況ととてもよく重なった。
《桐島さんの逃亡・潜伏生活なるものは、決してお気楽かつ余裕のあるものではなかったはずだ。しかし勝手に想像するに、それでも彼はその日常のなかで愉しみを見出し、悲喜こもごもの暮らしを営んできたのではないだろうか。》
Yahooニュースから引用
夫もそうなのだろうか…。
いや、きっと夫もそうなのだろう。
仕事はもともと建築業だったので、今も日雇いの日当手渡しの土木建築業。
社宅とか、社員寮と呼ばれる、古いアパートにでも格安で住んでいるのかも。
余裕は無いだろうけど、男の人の一人暮らしなんて、いくらでもどうにでも暮らしていけるらしいから。
それでもそんな生活の中でも、たまには誰かと笑い合ったり、何かに一喜一憂したり、
たまには美味しいものを食べたり、誰かとお酒を飲み交わしたり。
そんな時もあるのだろうか…。
不思議と、ここまで歳月が流れると、夫に対して恨みや怒りという気持ちはほぼ湧いてこない。
寂しさや虚しさはあるけれど。
むしろ、そういう人間らしい暮らしや、感情を持った生活をしていてくれたらと、思う。
【彼はその日常のなかで愉しみを見出し、悲喜こもごもの暮らしを営んできたのではないだろうか】
まさにこれ。
夫も、少しはこうであってほしい。
でも願わくば、こんな指名手配犯のような生活ではなくて、せめて子供たちに対してだけでも、責任ある行動を取ってほしいけれど、
本人の中で逃げたい理由がなにかあるのだろうから、仕方ない。
どこかで、幸せにとまでは言えないけれど、人間らしい生活くらいは、していてほしいと思っている。
思っているんだよ、夫よ。