私は、特別養護老人ホームの介護福祉士です。


同じ施設で長年働いていると、他の施設に移りたいなぁとか、違うことを勉強したいなぁとか、認知症を相手にするのはもう飽きたなぁとか、考え始めてしまう。


もうここでは、学ぶことは無いのではないかとさえ、感じ始める瞬間がある。


でも反対に、そんなことを考えている自分は、なんて視野が狭く、自分を過大評価しており、思い上がっているなぁと、恥ずかしく感じる瞬間もある。




近隣の病院でコロナが再び流行っており、入居者に入院加療が必要になっても、入院先が見つからない。


仕方なく、施設で診ることになった。


特養は、夜間は看護師が不在だ。

介護士しかいない中で、医療処置の比重が重い高齢者のお世話をするのは、かなり緊張感が増す。

それでもやるしか無い。


こんなとき、私はまだまだいろいろな分野の人からたくさんのことを学び、実践していきたいと、心が燃える。


夜勤なんか特に、自分しかフロアにスタッフがいない中で、

他にも何十人もいっぺんに面倒見なければいけない中で、

なんとか、朝まで命を繋げたいとやる気に燃える。


それでも90代の高齢者。

例えば、心臓も腎臓も肺も機能が落ちてるような方だったりすると、どうにもならないときは、どうにもならない。

それは仕方のないこと。


だけどそれでも、できる限りをやり尽くそうと、気持ちは燃える。


「コロナは風邪になり下がった」という人もいるけれど、

いまだにコロナを前にすると、認知症超後期高齢者は、弱者なのだ。

認知症というだけで、入院を断ってくる病院もある。

仕方ないけど、やり切れない思いになる。


命の選別が行われているのが現実です。


それが悪いとか、批判しているわけではなく、事実として有るということ。


認知症は治らないし、進行を止めることもできない。

そして寿命が近い超後期高齢者。



本当は24時間医療体制が整っている場所で診てもらいたいけれど、入院を拒否されて、ご家族がこれ以上の転院先を探さないと決めたなら、


私たちで、出来ることを精一杯やるのみです。



まだまだ私は、学ばなければいけないことがたくさんある。

もう学ぶことはないなんて、なんて傲慢な考えを持っていたのだろうかと、自分を戒め、明日も仕事に向かう。


そんなことを繰り返しながら、長年働いてきて、きっとこれからも働いていくのだろう。



まだまだやりがいは有る。