私のお古だったけど、
「読んでおくと、いざって時に役に立つよ。私の読み古しで悪いけど。」
と伝えて、この本をあげました。
それからでしょうか…。
ツンツンした態度が和らいで、ちょっと私に懐いてきた雰囲気があります。
こっちは最初からあまり態度は変えていないのですが、ツーンとした返事の仕方などは無くなりました。
でも、まだ理不尽な入居者にオドオドしていたりするので、
「オドオドしてると、覚えられて繰り返してくるだけだよ。」
など、伝えるべきところはハッキリこちらは伝えています。
昨日のことです。
暴れん坊(暴力)の男性入居者に、このハタチのサトリが、唾を吐きかけられていました。
脱げてしまった靴を履かせようとしていた時です。
サトリのせいで脱げたわけでもないのに。
自分で脱いだのに。
「危ないから靴を履きましょう」と言って介助してた時です。
サトリに向かって、唾を吐きかけていました。
さすがにこの男性入居者を、どついて張り倒してやりたくなりました。
サトリは冷静に掛かった唾を洗い流していましたが。
ハタチのキラキラした女の子が、高齢認知症爺から理不尽に唾を吐きかけられる…
あまりにかわいそうで、怒りさえ込み上げてきます。
想像してみてください。目を覆いたくなりませんか?
靴を履かせようとしたり、下に落としたものを拾って差し上げようとする屈む姿勢の時って、実はすごく危険で、相手の拳が思いっきりこちらの後頭部めがけて振り下ろされてきたり、
髪の毛掴まれて振り回されそうになったりします。
下向いて屈んでますから、相手の行動がこちらには見えないのです。
認知症は、突発的に理由もなく行動に出ますから、前後の脈略なんか関係ありません。
なんで今それをする?
なぜ殴る?
なぜ髪を掴む?
なぜ唾を吐きかける?
なんて、考えても答えはありません。
そして何より嫌なのが、何度も書きましたが、認知症無罪の鉄則です。
やられた方が悪い
避けられなかったこちらが悪い
の考え方ですね。
ですので、認知症相手に働くときは、常に予測しています。
いつ暴力を受けても避けられるように、防御できるように。
いつ唾を吐かれてもいいように、そもそも屈まないし、顔は近付けないし、相手の背後を取るのは自分だ。と、無意識の中で意識しています。
サトリにも、油断しちゃだめだよと伝えましたが、
勢いに任せて、この認知症男性入居者を張り倒さなくてよかった…。
そんなことしたら、こっちがクビになってしまう…。