こんにちわ。

今日も認知症の話です。

私たち人間も、動物の一種で、食べることで生命を維持しています。
食べるという行為は、ふだんなにげなく私たちは行っていますが、実際は脳のあらゆる回路がつながって働いて伝達して、行われている行為なのだということを、認知症の方を見ているとまざまざと実感します。

認知症の方は、脳の中でこの「つながって働く」という機能が壊れて出来なくなっています。
もちろんそれでもすぐに食べられなくなるわけではなく、
まずよく言われている、
食べたことを忘れるあたりから始まりますね…。
その後は、箸を持てなくなって手づかみで食べたり、お皿を持つことを忘れて、顔をお皿に近づけて舐めるように食べたり。
その後は、これらの行為も忘れて、食事・食べるということがすべて認識できなくなって、口を開けなくなります。

こうなってくると、認知症の末期です。
お腹が空いたということも、脳が判断できなくなっています。
それでもまだ、食べ物を口元まで運べば反射でお口を開けてくれるという状態なら、私たち介護士がいくらでも介助しますが、この行為も脳の伝達なんですよね。

まったく口を開けなくなった方に、こじ開けて食べさせるということは、介護士はしません。
基本的に、ご本人が苦痛を伴ったり、ご本人の意に反することは、しません。
「意」がどこにあるのか…と言われると、よく分かりませんが。

認知症は、極端に言えば、脳が壊れて現代医学では治らない状態ですから、
加齢とともに認知症が進み、認知症の影響でまったく食べなくなった、口を開けなくなった。
これは、お看取りに進んでいく大きな一つのサインです。

どんな動物も、老衰による寿命が近づくと、食べなくなります。
これが、命が果てるということです。

食べなくなるということは、口を開けなくなることだけではなく、嚥下機能が失われることも、意味します。

お口の中には入るけど、飲み込まない。飲み込むという認識がない。脳内で伝達が行われていない。
飲み込もうとするけど、むせる。
嚥下でしっかり食道に送り込むのも、脳の伝達がなされてこそ、できることです。

毎回気管の方に送り込まれ、大きくむせていると、徐々に肺に食べ物が送り込まれてしまい、そこから炎症が起きる。
これがよく聞く、誤嚥性肺炎の原因です。

ですので私たちは、この「むせ=誤嚥」を起こさせないために、トロミを使ったりミキサー状にしたりペースト状にしたり、食事にありとあらゆる手を加えますが、
それでも、嚥下という機能が脳の中で完全に失われた方にとっては、なにをしても為すすべがなく。
これも、お看取りにつながる大きなサインです。

認知症における「食べなくなる、食べられなくなる」というのは、一般的な老衰の「食が細る」とは、内容も考え方も異なり、
食べる身体機能が失われる
ということです。

ここから先は、お看取りですか?胃ろうですか?
という、とてもデリケートな話になるので、そこはまた機会があれば。

ただ、私個人の意見で書けば、超後期高齢者が、食べなくなったら、それは認知症であれ、病気であれ、寿命を全うするに向かう自然な流れだと思います。

命あるものは、必ず死も訪れますから。

もっともっと個人的な気持ちとしては、自分で自分の排泄の処理が永久にできなくなったら、私は命を全うしたいです。
だいたい食事より先に、認知症は排泄のケアの方が自分でできなくなりますから、
私はこの時点で寿命を迎えたいものです。

でもそんなうまく命は全うできないから、自分でコントロールできないから、悩ましいのですよね。

子供たちに排泄の世話なんか、絶対にさせたくないし、他所様にさせるのだって、嫌ですよね。