長女が不登校になったのは、塾からでした。



幼稚園の入園後、夫は娘を公文へ入れました。

娘は3歳半健診で発達障害と言われました。
ADHDとASDの混合です。

しかし、夫はそれを認めませんでした。
同居の姑も同じでした。

結局、何の援助も受けられずに育ちました。


ADHDの子どもにとって、同じことを何度も繰り返す公文式は苦痛でしかなく、娘は泣きながら課題をしていました。

私も見ていられず、公文の先生と相談して枚数を極力減らしました。

それに気付いた夫はとても怒りました。

私は、夫に娘が怒られるから、怒られないようにしようと娘を怒るようになりました。


小3の冬休み、夫は長女に進学塾へ行くことを提案してきました。

発達障害とは言っても、勉強はできる方だったので、公文式に苦しんでいた娘は、公文から逃げるために塾へ行くことにしました。


進学塾は宿題も多く、時間も長いので、娘にとって苦痛になるのも時間の問題でした。

それでも、塾の授業は楽しいらしく、行くことに抵抗はしませんでした。


夫はテストの成績を見るたびに、娘を叱りました。

宿題がちゃんとできてない。
こんな成績ではいけない。
もっと努力しないといけない。


私が口を挟むと夫は激昂しました。
私は娘を庇いきれませんでした。


だんだんと娘は塾へ行くことが重荷になりました。


そして、小6の夏期講習の後、塾の時間になるとお腹が痛くなったり、頭痛がしたりするようになりました。


何とか行かせようとしましたが、行っても塾でしんどくなって、帰ってくるようになりました。


私はもう限界だと思いました。
そして、娘に告げました。

今まで本当によく頑張ってきたと思う。
あなたがやめたかったら、やめて良い。
塾をやめても、私はあなたのことが大好きだから。


娘は泣きながら、やめる決断をしました。


その後、小学校は楽しそうに通っていました。
塾から解放されて、表情も明るくなりました。




でも、中学に上がると、ずっと私立中学へ行くつもりだった娘は、公立中学に通っている自分を認められなくなりました。

そして、ASDからくるコミュニケーションの取りにくさもあり、今度は中学校に通えなくなりました。



私は夫と娘との板挟みで、長女が小5の時に鬱病になっていました。


長女に何もしてあげられなかった。

ずっと、助けを求めていたのに、夫と姑の言いなりになり、何もしなかった。

こうなることは、とうの昔に分かっていたのに。




不登校の娘を夫は叱りました。
私は夫を理解させるために今度は立ち向かいました。

何度も何度も喧嘩をして、何度も何度も説明して、それでもなかなか分かろうとしない夫。


仕方がないので、姑に理解してもらうことにしました。

姑は夫よりは理解しようとしました。
テレビのドキュメンタリーや子育ての話を聞いたりするのが好きだったこともあり、段々と理解してくれるようになりました。


すると、夫もしぶしぶと従うようになりました。


そして、私は夫に娘の病院へ一緒に行くように言いました。

娘は中学3年生になっていました。

夫は先生の話を聞いて、少しムキになりながら質問を繰り返していましたが、最後は先生の話に納得したようでした。



夫が長女の心境を理解するようになると、娘は高校へ行く気持ちになり始めました。


夫と娘の2人で見学へ行った単位制の高校へ入学することになりました。


でも、結局娘は1週間だけ通っただけで、また行けなくなりました。


本当は行きたいのに。
気持ちがわかるだけに辛いです。



でも、辛い辛いと言っていても始まらないので、長女のペースに合わせながら、でも長女が3歳半健診の時に置いてきてしまった課題をもう一度、親子で取り組んで行きたい、そう思う毎日です。


きっとまだ間に合うはず。


そう信じています。




ニュードーンにたくさんの蕾が付きましたピンク薔薇




お花の話と違う内容でごめんなさい。
最後まで読んで下さった方、ありがとうございました。