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jeonお前もハマったか。・・・orz


今日は私が何故?!こんなにも競馬にハマったのかの話をしたいと思います。


以前に1番の思い出深いレースは安田記念だと書きましたがその話を、、、


私が19の頃同じ職場の年配の方が競馬が大好きで
いつもスポーツ新聞を見ていました。私も既に筋金入りのギャンブラーで、小学生の頃から友達と賭けポーカー、花札、鉄骨渡りガーンetc・・・


何でも賭けていた、正にギャンブルをする為に生まれてきたのか?!と言ってもいい神童?でした。(笑)


当然そういう私が隣で競馬新聞なんか見ていられたら疼かないはずが有りません。w


ただ当時は今みたいにネットなんてものは無いので誰でも手軽に買える時代ではなく馬券を正規の所で買うのは都会ならともかく田舎では困難な時代でした。


それはその年配の方も同じな訳でその人は○ミヤ(酒呑む処ではない)に電話して賭けていました。


私はちょっと怖いなと思いながらもその人に一緒に買ってもらえば別にそっち系の人と関わり合う事もないのでその人を通して買ってもらってました。


○ミヤでは当たっても上限(100〜200倍)しか貰えないルールが有りましたが当時は今みたいに色んな種類の馬券は無く単勝、複勝、枠連のみだったので当たった際に100倍迄貰えるなら充分でした。


後で知ったのですが○ミヤっていうのは正規だと
10,000円の馬券を買って外れれば当然10,000円無くなるのですが○ミヤだと外れた時90%つまり10,000円賭けて外れても9,000円払えばよかったらしいです。

私は頼んだ人に普通に100%の賭け金を渡していて更に当たったら頼んでくれたお礼として10%の手数料を挙げたので上手くやられてましたね。チュー


でもその人には何回か大井競馬場にも連れて行って貰い競馬のイロハを教えて貰ったのでとても楽しかったです。(的場文男から買えば当たる時代。)


その後私はその職場を退職して世はバルブ末期の頃。


好条件の仕事が東京には幾らでも有った為私は友人と上京しました。


上京した頃は競馬熱も冷めていたのですが20歳やそこらで給料も月に35〜50万(寝床、光熱費タダ)位貰えたのですがあいも変わらずパチンコやパチスロばかりやっていて全く貯金も出来てませんでした。(今は鬼嫁とプロ馬券師だから有るぞ。笑笑)


そして転職した会社の先輩に私をすごく可愛がってくれた先輩が居ました。

その人は私より5つ上の人で遠い地方から可愛い彼女(後の奥さん)と上京して2人で頑張っていました。パチンコは全くやりませんでしたが競馬はそこそこ好きで遊び程度にやっていました。


私もたまに付き合いでその先輩と一緒に場外馬券売り場や大井競馬場、東京競馬場に行ってましたが当時の競馬というのは先にも言ったようにインターネットなんて無いので専門家やプロでもない限り今みたいに血統やら脚質、馬の細かい状態なんて分かっておらず皆んな新聞のコメント、馬印やパドックの気配で予想していました。


単勝、複勝、枠連しかないので大穴を狙っても当たりませんし、本命を買っても2、3倍の倍率なんてザラなので何万円も買わないと儲かりませんからほんの2分程度でドブに捨てる勇気はなくそれ程は競馬にのめり込む事は有りませんでした。



あの1991年の安田記念の時迄は・・・


長くなったので次回に続きます。