やはり『愛』だろうか…。

両親の溺れたそれではなく。


ミュージカルでの彼は原作よりいろいろな意味でだいぶハード。

工場長からセクハラ・パワハラの限りを尽くされ追い出され職を失い、持っているモノ全てを失い、娼婦となったファンテーヌが最初に身体を売るのがあれだけの仕打ちをされた工場長…。
そのファンテーヌが速攻で嫌がるバマタボアって、どんだけ!?(笑)

娼婦たちの間ではそのサディスティックな性的嗜好のため忌み嫌われ、拒絶したファンテーヌはボコボコにするドブネズミ。


彼が極端な性的倒錯、加虐性淫乱症を発症するに至った要因は何だったのか。
彼に必要なモノは何だったのか。
彼に何が足りなかったのだろうか。


〈いただいた演出と原作を踏まえて創ったウベタボア設定フィクションを元に〉

幼児・児童期に現れることがある罪悪感のない草花をむしる虫を殺すなどの暴力性を、両親の歪んだ愛情で保護され続けた彼は、今大人となりそれを何の疑いもなくそのまま性的快感を得るための方法へと移していった。


性的興奮をした何か決定的な出来事があったのだろう。
初めて同い年くらいの女の子の首を絞めた時のその苦悶する表情と感触だったのか…
ステッキで何度も叩きつけた若い家政婦の抗えない泣き顔にか…

そのいびつな性的興奮も、足りない何かを埋めるためか…。


社会的にはその位の高い家柄を最大限に利用し、経済的精神的な甘えが半端ない生活を送っているにも拘わらず、いつまでも自分を子供扱いで必要以上に過保護な両親を軽蔑し、故に10代の反抗期さながら意にそぐわない時の両親、特に母親への癇癪はいくばくか…。


外ではいくら着飾りキザにかっこつけようと、同階級の女性たちには全く相手にされない自分の言動に自分で酔う稚拙な男は、家の中での振る舞いと同じように出来る場所に逃げるしかなかった。


性的サディズムに走る彼には、そこにいる娼婦たちは何に見えているのか。

性的処理の道具として、面白いかそうでないか…。

彼女たちを傷付ける罪悪感は…?

サイコパス的な人を人とも思わない、生き物の『生命』への敬虔な想いは全くないのだろうか…。


毎回出来うる限りバマタボアでいようとすると、どよんとした鬱的なテンションになる時も(≧◇≦)

誰か助けて~~~(笑)



そんなドブネズミでも、この作品にあってその存在意義はファンテーヌの若く愚かだったかもしれないがどんな苦境でもコゼットのために強くあろうとした物語のため、ただ一点。

今期は性的サディズムに走るに至った経過を深く突き詰め『そこに存在する事』が、ファンテーヌに出会って早々「嫌な奴、嫌!放してよ!!」と言わざるをえない生理的に受け付けない嫌悪感を与え、自分勝手ないざこざを起こす事でその後の物語(ファンテーヌとバルジャンの再会、そしてバルジャンがコゼットを引き取り育てていく物語)へと繋がって行くと信じて、突き進む。


そこには、作品への相手役への『愛』しかないよな。

『愛』の欠片もないヤツを演じるのに一番必要なのが『愛』か。