お金はおっかねぇ。ドライな関係ver. | あぶらみぶっちのブログ

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自分が頑張った時にお金を受け取り、
他人の頑張りに対してお金を払う。みたいなことは前にも書いたけど、改めてお金の不思議さを感じた。

ある顔絵屋さんに似顔絵を依頼した。
その人の貴重な時間を、才能を、似顔絵という自分の依頼に使ってもらった感じ。絵はすぐにできるものではなく、それなりの労力が必要だと思う。
それが無料だと、かなりの恩になるわけだけど、お金を介すると、その恩という精神的な縛りをなるべく押さえた形で、ある意味ドライな感じで、お互いに気持ちの負担を押さえた感じにすることができる。

という感じに、ある意味赤の他人の依頼でも、お金を介すると、笑顔で依頼に乗ってくれる。
海外旅行でも、何故かお金を介すると、みんな笑顔でいろいろしてくれる。お金はみんなを笑顔にする、不思議な奇跡の道具(笑)
(まあ、そんな感じなのに、成金的にお金を持つと、そのお金に対して回りが笑顔になっているだけなのに、勘違いしてしまう感じはよく聞く。)

そんな感じに、頑張りに対してお金を払うわけだけど、
最近は、頑張る方の大変さがそれなりに分かるので、ただお金を払えばそれでよし。みたいな感覚ではなく、感謝しながらお金を払っている。
(まあ、相手の頑張りが適当だと、提示された金額以上の感謝はしないし、リピートもしないんだけど)

ここらへんで考えると、自分が産み出した製品的なものは、ある程度の価格を提示する必要があるわけだけど、

その場かぎりの契約になるか、次に繋がるかは、支払う価格が納得いくか?に加えて、感謝してもらえるだけの頑張り感じられるか?というところにあるのかな?
(ビジネスの場合は、より価格よりのドライな判断になると思うけど、より対個人に近い場面では、感謝の部分は大きいと思う。)

とかまあ上のような事は、当たり前の誰でも知っていることだけど、身近な経験を通じて、その当たり前が自分の血となり肉となっている感じが最近よくある。
言葉では知ってたけど、経験を通じて実感するみたいな。
経験から必死に感じ取って言葉にしてみたら、何か聞いたことがある言葉だな。ということも多い。

そこら辺で、先人の言葉、意志、感情を知ることができる、熟語、古語、ことわざとかは、最近良く学ばないとな。と感じている。
たぶん千年以上、みんなが納得した言葉だから、受け継がれてきたわけだし。

温故知新。その言葉を最近実感している。