気仙沼訪問を目的とした2泊3日の旅もいよいよ終わり。宿を出て気仙沼大島経由で、今度は市街地を湾岸大橋上から見渡しつつ通過し別れを告げ、そこから再度海岸部の津波浸水被害に遭った地域に入ると、水産加工施設が再稼働している他は空き地となっているところにポツンと学校らしき建物があり、そこに併設するように真新しい保育所のような建物が見えてきました。

 

そこが今回の旅でぜひにと訪問を考えていた「気仙沼震災遺構•伝承館」でした。津波被害を受けた青森県から福島県の東北各地に震災の教訓を残す伝承施設が設置されている模様で、それを全部訪問するのは大変なくらいですが、それぞれに当時の物語があり、死者行方不明者が出た地域では当然思い出すのも憚れるような悲劇があったのは言うまでもありません。東北に行く機会があったらどこかしらこういう伝承施設も訪問地にぜひ加えて、施設が置かれた地元の願いと祈りに寄り添っていく時間を楽しい中にも設けてもらえればと思います。

 

この施設は聞くところによると某放送局の全国番組で最近紹介があり、この施設の館長として4月から就任された及川さんという方の震災時のエピソードが語られていました。

館長さんは当時消防署職員として、南三陸の消防署に避難したところ想定を超える大津波に呑み込まれ、建物内に残れば助からないと意を決して津波に飛び込み、流れていたタイヤにしがみつきながら漂流し、3時間後に陸上に漂着したところを助けられたという壮絶な体験をされた方で、自分は九死に一生を得たものの、同じ建物にいた同僚を失ったことで悔恨の思いから震災のことを語ることをしないまま13回忌を迎えた時に、このままでいいのかと逡巡の末、館長として語り部の活動を始めたというものでした。

 

(遺構•伝承館内の震災遺構、学校施設が被災時そのままの姿で残されています)

 

避難所運営支援をしている時も身近な方を亡くされた方が、運命の分岐点、こうすれば助かったのに、自分が代わり犠牲になれば家族のために良かったのになどといろいろ話をされたことを思い出しながら、話さない話せないまま気持ちの整理がつかない方が多くいてもそれは自然なことで、館長さんのように高齢になるにつれ自分も話すべきという決心は気持ちが癒えたからではなく、使命感が働いたと言えるのかもしれません。

しかし、その体験談を形に残せる機会を得られるかどうかはこれも運命的なものかもしれません。

 

その及川館長さんに会うということは多分果たせないだろうという気持ちで訪問したのですがその館長さんとお会いすることができて、且つお話しまですることが出来ました。

当時のエピソードは内容は既にわかっていたので、詳しくは訊ねなかったものの現在の胸中やこれからの防災に関するお考えをいろいろ聞くことができました。

消防にお勤めされ、防災に関する知見を持ち合わせていたにも関わらず、被災を免れ得なかったことを生きているからこそ語るべきという決意は十分なほど受け取れることができました。

温和な印象で語りも柔らかな方でしたのでメッセージは訪問者の方によく伝わるのではないかと思いました。

(及川館長と写真に納めてもらいました)

 

お話をしていただいたことに感謝を述べ、館内を見学。元々気仙沼向洋高校という水産を中心とした専科学校が立地していたところで、津波に呑まれ4階建ての最上階まで浸水し、生徒たちは屋上に避難したことで難を逃れたけれどもおそらく現地での再建は断念せざるを得ずそのまま校舎自体は廃止、遺構施設としてそのまま保存されたということでした。

中を通路に従い進むと驚くことにあらゆるものが13年前の3月11日で止まってしまったかのように被災した状況がおおよそ

そのまま保存されているということです。校舎内に乗り上げた自動車をはじめ教室にあった器材、あろうことか教科書や教材までそのままとは言葉を失うに十分なものを目の当たりにしました。

あらゆるものの散乱具合が当時のまま、私も13年前あらゆる場所で散乱したままの施設を普通に観てきましたが、13年の時を経てそのまま残存させていたことただただ凄いことだと驚愕するしかありませんでした。

 

おそらく学校関係者で死亡者が出ていないことが遺族感情などが最小限だったことがこのような保存形態を実現し得たのだろうと思いました。

 

平日でお天気も雨模様、訪問者の数はまばらであり、今後どの程度の訪問者が見込まれるか分かりませんが、及川館長さんによる伝承の機会が日々続けばと思います。

これで今回の旅で訪問予定であったところを全て訪ね、再度仙台空港に向けてクルマを三陸道路を進めました。

途中、道の駅で石巻焼きそばを昼食に注文、違いがよくわからなかったけれども、ご当地グルメなのでしょう、旅のネタになりました。

 

仙台市内はタワーマンションの姿も見え、福岡と変わらない近代的な都市が姿を現しますが、ここまで観てきた三陸地方の景観との違いが際立っているのは13年前と変わりません、被災後すぐに行ったのにパチンコ店が営業してるのに違った意味でショックを受けたものです。現地のリアルとは何なのかこれは現地に行かねば感じとることはできません。

 

空港に着くと脱力と疲れが出て、ロビーでの待機中も搭乗後から福岡に着くまでほぼほぼ睡魔に襲われ、船を漕いでいました。

(石巻焼きそば)