哲学的なタイトルですが、まさにその話です。
先日17日の日曜日は、ブラジルから一時帰国した素晴らしい尊敬する、そして、かわいい友人Keiko Omataのライブでピアノを弾かせていただきました。
彼女と再会したのは、あまりにも劇的で、映画のような形でした。
地球の裏側で、なぜ、またもう一度、しかも、まったくの偶然として彼女に再会したのだろうと、思うのです。
そして、その2012年から彼女が一年に一度帰国するたびに、年に一度か二度のライブを手伝うことになったのです。
もう4年ですね。
4年の間に、彼女も私も、ほんのわずかですが、成長しているのを感じます。音楽的にも、人間的にも。
こんなつきあいが存在するのも、不思議でしょう?
それは、音楽があるからなんだと思います。
音楽がなくても生きていける人はいるでしょうけれど、それって、きっと何かが欠けている人生なのではないかと思ってしまいます。
でも、
音楽は目に見えません。
波動がそこにあるだけです。
でも、その波動ですら、そこにとどまっていることはできません。
どんどん流れて、動いていってしまいます。
元には戻れない。
よかったか
悪かったか
素敵だったか
悲しかったか
ただ、それを聞いた人の記憶に残っているだけのものになってしまうのです。
だから、もう一度、確かめたいと思うかもしれません。
でも、もう二度と同じものはないんです。
繰り返し、同じことはありえない。
今を逃したら、もう、二度と出会えないのが、音楽なんです。
でも、もう一度・・
って思うから、私は、ここまできてしまいました。
そして、17日の夜は、初めて、ブラジルのあのサンバのスルドの音が私の体を流れていくのを感じました。
私の中の記憶の中の、あの地面から湧き上がってくるような大きな太鼓の音。ずっと向こうから、近づいてきた、あの音です。
やっと、20代から追い求めていたブラジルの心が私の中にやってきました。
記憶は、不確かなこともあります。
でも、音楽が刻む記憶は、それは、真実です。
あなたにとっての真実。
わたしにとっての真実。
なぜ音楽なのか?
それは、私たちが、真実を探し求めているから。
来年また彼女が戻ってきた時には、ぜひ、もっと早く皆さんにお伝えしたいと思います。
一度は聞いて欲しいです。
ブラジルがなんだから知らなくても、
彼女が誰だか知らなくても、
きっと、彼女にとっての真実というものが、あなたの中の真実をみせてくれるはずです。
言葉では、やはり上手く説明できませんね。
音楽は、言葉では説明できないものですね。