知っているのに気づいていない | 流血ピアニストは歌う!!

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オールアバウトミュージックな暴露話



no music no life

これは、シェルタリングスカイという映画の中で、ヒロインの女性が、自分の浮気が夫にばれているかを聞かれて、その浮気相手の男に答えていた言葉でした。

字幕でみただけなので、英語で本当になんと言ったかは定かではありませんが、この日本語の訳だけでも、言葉の深さに感銘したのでした。

「知っている」という言葉は、
言葉の細かいスペイン語では、2種類あると必ず初めに教えられます。

知識として知っている saber
経験として知っている conocer

こちらに説明があるので、よかったら、どうぞ。

saber VS conocer

日本語だと、まあ、前後の文章から汲み取ることになるわけですね。英語もそうかな?

で、一方、
気づくというのは、感覚的に、無意識であったものを意識する
というようなものかと思うわけです。

んでもって。
これを合わせると、
「動物的勘としてはそうじゃないかなあ?って思っているけど、まだ、意識的な領域までそのことが上がってきていない」ということかしら?と思うわけです。

このあたり、なかなか難しいところですが、私達はそうやってものごとを理解していくことが多いのではないかとも思うのです。特に、動物的直観力にすぐれた女性陣は、ちょっとしたものごとの変化にも、自分が意識をしていない部分で、すばやく何かを嗅ぎ取ります。で、それが何なのかを検証して、そのもの事実を理解していくわけですね。

ま手っ取り早く言うと、浮気なんかはね。ほんと、あれ?なんかだんなの雰囲気とか、何かよくわからない何かが違うってなところから、発覚するわけです。これは、だんなを愛しているとか愛していないとかそういう感情がでどころではなく、観察力の賜物というか、日々の経験的な積み重ねの記憶とかそういう部分が出所であります。

更にいうと、自分の生命の危機回避ともいえます。だんなに収入を頼っていたり、精神的よりどころとして存在している場合、それを失っては、自分の生活が成り立たなくなるという本能的危機回避ですね。

で、この次にとる行動が、初めて、その人の品位だったり、知的レベルだったり、信念だったりするわけですね。

最後の最後で本気の選択をする余地がでてくる。しかし、ここまでの過程を、感情的に動いてしまうと、選択を間違える、または、選択をするべきタイミングを間違えるということになるのではないかと思います。

あれ?

なんの話してるんだかな?

ま、特に結論もなんにもない独り言ブログでございます~~。

お後がよろしいようで~~~。