その後(二つを通して、見えたもの) | 流血ピアニストは歌う!!

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オールアバウトミュージックな暴露話



no music no life

3.11から三ヶ月も経ってしまった。一体私は、何を知ったのだろうと考える。

と思っていたところに、茂木健一郎と東浩紀の対談を聞きに行くことになり、頭を使って聞き入ってしまった。

ま、そんなに知識のいる話ではなかったのだけれど、あまりにうなずく話であったので、それは一体なぜかを同時進行で自分自身で考えるという二重構造のせいだったために頭が疲れてしまったのかもしれないけど。

一応タイトルは、脳と民主主義となっていたようだったけど、ま、そんなタイトルはあくまで客寄せのためのものであり、というか、タイトルに惹かれた人はいたのかな?二人は、今の彼らの意見を今の流れの中で感じたままに話していた。

二人は意図しているよりもはるかに対照的な考え方をしていた。

東さんは、自分は文系なのだということが、そして、自分の本当の願望というものがなんなのかをこの3.11以降再認識したと。そして、日本人に対する絶望感からくる自分の生き方について語っていた。

茂木さんは、どこまでいっても科学者であり、彼の持つ絶望感を科学というサイドから、楽観的なというか、視野を広げて見るという方向へ移行している過程にあるようだった。

深さは足りなかったけれど、私の中にもその二人の意見があったのだった。私の頭の中の葛藤が、人物になり意見を交換しているのを、私自身が見ているような、ちょっとSFチックな気分にもなっていた。

というのは、今の私は、心理学を勉強し始め、訳のわかんないことの中に何らかの答えを見つけようと言葉を尽くしている一方で、ただ、ピアノを弾き歌い、アレンジした曲に映像をつけているのだ。言葉で語ることと、言葉のない世界というものを意識し、行き来することで、バランスを保っていたのだ。

しかし、その行為は、私という人間にとっては、まったく3.11を経験した後には、起こりうることであり、当然だったのだと認識できたのだった。なんだか、安心してしまった。

結局、自分に戻ったというのが、ほとんどの良識ある日本人なのではないかと。多くの人の一人となることを拒否し続けた私だったのに、自分も一人なのだということについて、日本人としての安心感を得ることが出来たというのは、私にとっても大きな発見のできた対談だったのかもしれない。

物事は、常に2者選択を迫られるものではない。しかし、どっちなんだと聞かれることが多い。

私は、音楽を生業とし始めた時から、ピアノの弾き語りをしていた。ピアノと歌とどっちなんだと、聞かれ続けた。私は、どっちもなんだと答え続けた。そんなものだ。

2者選択を迫るタイプの人は、自分がそのものを自分なりに理解したいから聞くのだ。しかし、迫られた方にそういうもののの見方を持っているとは限らない。押し付けられ、答えを言わされる。まったくもってナンセンスだ。そう、ナンセンスなのだ。質問した相手もきっと何もわからない。

そして、それを表明してよいということは、それこそが、民主主義であり、どんなにだめだめでも、どんなに優秀でも今の日本の姿なのかとも思う。そこに、ほんのわずかな希望が見えた。

その希望は一体なんだろう。

私は、もう日本人に固執必要はないということか?日本人は、日本という国をもう見捨ててしまったということを知ったのか?

絶望という崖にたって、戻ることのできない後ろを振り返って、このまま、自分の怖さを克服し、海に飛び込めるかのかけに出るしかないのだ。それしか選択肢がないと知ることができたことが希望なのかもしれない。2者選択すらできないのだ。それしかない。

さあ、私は、心から、音楽をしよう。そのように生まれてしまったのだ。音楽の中で語れないものは、何もないのだ。本当にありがたいことだ。

たとえ、自分の欲しいモノが得られなくても、
たとえ、明日の命がなくても、
たとえ、お金がなくても(あ、これホントのことだ)

今日、音楽がある。


6月12日(日) 外苑前Z-imagine
03-379-6753
港区北青山2-7-17 青山鈴越ビルB1F
open18:00 Start19:00Music Charge(2500円 Drink別)
  hiroyo(Vo&Pf)
  達川和俊(gt&b.vo)
  佐久間よしゆき(perc&b.vo)
  guest 吉田一夫(fl)