音楽という言葉のない世界にアクセスできなくなってしまっていた。
その時から、改めて、コミュニケーションをすること、1人で考えることをはっきりと意識するようになった。
そもそもコミュニケートとはいったい何か。はっきりしていることは、1人ではできないことである。相手が居なければ、存在しない行為。
自分の考えていることを相手に伝えること。しかし、ただ伝えるのでは、満足できないわけで、それをよりこちの思うように理解してもらわなければならない。こちらの言い回しだけでは、通じないこともある。
そこで、よく言われるように、相手の立場に立ってという言葉もある。
で、さらに、相手の意見を聞き、相手のことをより理解しようとしていくやりとりが、コミュニケーションしているということなのではないかと改めて思ったわけ。
相手にとりあえずこちらの考えを伝えるだけというのは、一人で考えているのとは、雲泥の差はあるんだけれども、でも、コミュニケーションではないと思う。。
しかし、言葉というものは非常にやっかいだ。
日本語と英語の違いを話しているのではない。同じ日本語だったとしても、言い回しでまったく違う意味になってしまうこともある。本当のところ、相手は何を伝えたいのかと質問したくても、うまく質問を組み立てられないと、答えを引き出すこともできない。
ここで、いつも、私はひっかかる。なぜ、こんなに言葉にひっかかるのか?
考えてみた。
とりあえず、頭にすぐ浮かんだのは、私が、いつも言葉のない音楽の世界で生きているせいではないかと。自分であまり意識していなかったのだけれど、もう人生のほとんどの時間をどっぷりその世界で生きている。
歌を歌えば、歌詞はある。でもそれは、コミュニケーションのための言葉ではない。音楽のたとえばピアノと同等のサウンドのひとつと考えている。もちろん、歌詞には言いたいことや、意味のあることがあるわけなのだけれど。相手の意見を聞き入れるものではない。
しかしながら、音楽は、一緒に演奏する人、そこに居合わせたオーディエンスと、リアルタイムでコミュニケーションしている。言葉なしで。
たった一人で演奏している時も、何かとコミュニケーションしているような気もする。
そして、それは、曲が終わるまで続き、戻ることはできない。完全に時間軸に乗っかったまま、進んでいく。「たった今」の連続である。今、誰かの出した音が間違えていようが、自分とぶつかっていようが、うまくいっていようが、お構いなしで、次から次へと続いていく。
なんかこうやって、なんとか日常的な言葉で説明してみると、音楽とはやはり非日常のものであると思う。
しかし、音だけでは伝わらないこともあるのだ。だから、私は、こうやって、毎日、ブログを書き、人と話をする。日常的な言葉を使って。
しかし、時々、いいえ、しょっちゅう、そのことに挫折する。
いやしかし、あなたと音楽だけで話をしたい、と思い始めている。

6月12日(日) 外苑前Z-imagine
http://www.radio-zipangu.com/zimagine/schedule.php
03-379-6753
open18:00 Start19:00
Music Charge(2500円 Drink別)
hiroyo(Vo&Pf)
達川和俊(gt&b.vo)
佐久間よしゆき(perc&b.vo)
guest 吉田一夫(fl)