こんにちはマナミです。
「20日から合格不合格通知をお送りしますので23日には届くかと思います。」
9月の頭に国語と数学の学科試験と面接を受けた私は、冷や汗をかいていました。
だって、結構勉強したのに圧倒的に時間が足りなくて、難しい問題へ行く前にテストが終わってしまったんだもん
「はい、時間です。」で漫画のように本当に頭を抱えた私でした
その後の面接も緊張ばくばくで自信がなくて。(緊張しいです)
お、お料理教室があることだしそれに専念して忘れよう!!とほんとに忘れていました。
23日、夕方。
子ども達を迎えに行こうと家を出たら郵便受けに封書が届いていて、開けたら交通費など申告する紙が出てきました。
受かっていたんですびっくりしてしまいました。
受講資格として、入校日までにハローワークにおけるジョブカード作成アドバイザーによるキャリアコンサルティングを受けてジョブカードを作ることが必須でした。
私は受かると思っていなかったので今日予約の電話をして、下書きを準備。
ようは、具体的な職務経歴書を作成するんですねー。
自分の仕事の経歴を振り返ってみました。(ちょっと長くなります)
高校生の時アルバイトを始めます。
行列ができる、パフェが売りのカフェ。
掃除も洗いものも下ごしらえも提供もカフェの仕事は何もかも、今振り返っても一番楽しい仕事、毎日がうきうきでした。
カフェで3年近く働いて、モーニングを一人で開けさせてもらったりもしました。
それから、母が50歳でマネキン事務所(職業紹介所)を立ち上げたこともあり、母の会社から各百貨店の食品の接客販売へ長期・短期数えきれない程お仕事させてもらいました。
人見知りで対人恐怖症、接客が売る事が苦手、そんな私でしたが、マネキンの仕事をするうち、ある時急に販売の楽しさを感じた瞬間があり、接客が苦手ではなくなりました。(人見知りは今も変わらず)
宮崎地鶏と焼酎が売りの居酒屋さんで働いた時は20代前半。
アイドルタイムには厨房の仕事を沢山させてもらい、調理の仕事に憧れて調理師免許を取りました。
朝引きの宮崎鶏を日々捌かせてもらい、切りものや揚げ物の下ごしらえやカニや河豚まで触らせてもらえ、沢山勉強させてもらいました。
ここで本格的に料理を勉強したくて神戸へ引っ越しします。
ル・コルドンブルー・パリ神戸校へ行く事にしました。
引っ越し前、友達と神戸へフランス料理を食べに行き出逢いがあります。
レストロエスパストランキル。美味しくてかっこよくて素敵で惚れてしまっていいなあ!!!と思っていたら、お手洗いに入った時、スタッフ募集の紙を見つけ働かせてもらう事になりました。
朝はパンの焼き場の仕事、昼夜はエスパスで働きながら学校へ通いました。
その後、エスパスの加古シェフの繋がりで、平日はソンフィルトルの田中シェフ、週末はラピエールジパングの石井シェフの所にお世話になりました。
フランス料理を目の前に感じながらのお仕事、得るものが大きかったです。
またルコルドンブルーのシェフからアシスタントにならないかと声をかけていただき、卒業した料理学校で働く事ができました。
学んだ事の再確認にもなり、言葉の壁があったものの、裏方の準備の仕事や大人数のまかないご飯、授業の進行など勉強させてもらいました。
主人について滋賀県へ引っ越した時、ご縁でブルーベリーフィールズ紀伊国屋へ就職しました。
成案造形大学内のカフェテリア結で一年目は料理兼店長、二年目はパティシエ兼店長をさせてもらい、夏はたわわに実るブルーベリー畑のそばで充実した毎日を過ごしました。
妊娠8ヶ月まで働いた後、主人の仕事の関係でまた神戸へ引っ越し長男を出産。
3年の産休に入ります。
大阪交野市でカフェの立ち上げと店長として雇っていただけるという話があり、意を決して家族で引っ越し、娘を出産しました。
間もなくカフェの立ち上げが始まり、店長を約2年務めさせてもらいました。
子供が生まれてから初めての仕事だったので、家庭とのバランスや自身の体の変化に悩みの日々でもありました。
しかし、一からお店を創るのは本当に楽しく、やりがいを感じる日々でした。
ここまで。(長くてすみません


色んな出逢いや学びを経て、今の私があります。
新たにスキルを増やして、どんな私になるのか自分で楽しみです。
職業訓練は10月3日から。
その話もまたさせてください。
それではまた。
マナミ