みんな「何か」をもっている。

みんな「何か」をもっている。

皆違って、皆いい。そして皆が人と違う何かをもっている。
・・・と思いながら、日々感じた事を、時々まとめて書き留めていきます。

久々にブログを動かしてみようかなとおもい、すこしずつ動かしていきます
一瞬noteに浮気しようかとも思ったけれど、お引越しなどは出来ないし
ここは40歳前後のいちばん環境が変わり、感情面もアップダウンしていた頃だったこの場を亡きものにしてしまうのもどうかと思い
と言うことで年の初めにひとまずプロフィル画像を変えるところから💦

あ、Xやインスタは普通に動かしてますよ😁

ちょっとした愚痴です。

僕の職場は大学病院です。

そこで働く「勤務医」であり「助教」というポストで勤務しています。

40代半ばまで数年おきにいくつかの関連病院を勤めて廻ってきたのですが

他の病院とここ(大学病院)の大きな違いがあって

 

「臨床能力」のほかに「研究業績」をあげていく、いわば「アカデミック」であることが至上命題なところです。

ただ仕事や雑務をしていれば良い場所ではない。

多分、独立開業でもしない限り、自分の年齢でただ患者さんと対峙しているだけではだめなのです。

 

本来、希有な疾患を元に勉強し、英文含めた論文を読み、さらに臨床でのリサーチを自身で起こして周囲に協力を仰ぎ、学会だ次は学術論文だ最終的には博士号だ・・・ってなることが美しい世界でしょう。

(多くの大学病院の医師はきっとそれがしたいか、鍛錬も含めて辛くとも取り組んで行くのでしょう。)

 

ところが自分にとってはやはり辛くて苦しくて、ということが年々解ってきてホントどうしようもないです。

一つはそもそも自分のセクションの同僚が少なくて、業務量に見合ったマンパワーなんぞでは無く

そもそも診療業務だけで一杯一杯なこと。

仕事が終わっても、書類を書き、特に医療事務的な調整作業もすると論文、ましてや英文を探す時間も難しい。

土日も今は仕事から心身を切り話すことにしか心が動きません。

 

30代の頃までのように病院に23,24時までいずっぱで作業したり、終電も終わって横浜のビジホに平日泊まって翌日普通に勤務することもできたんだけど、結局その後喘息を患い、現時点で最後の学会発表が終わったあと反動で一時出勤が出来なくなったりしたことを思うと、もう無理すべきではないのです。

やめちゃえば、どんなに楽だろうか。でも大学の医局を離れられるほどの技量も無い。

 

今日は論文をきちっと書き、業績を上げてきたコメディカルの人間にマウンティングされて自分の処方や考えをやんわり否定された。

こちらはリハビリに必要な評価をその人に依頼したのだが

「先生が論文でも書くとかなら、指示された検査をやりますよ」てな感じで自分の指示や評価を行う意味が無いことのようにあしらわれてしまった。

忙しさの頂点で言われたもんで、ついつい

「その検査、無理してやらんでいいです。アカデミックなことはしたくないんで!」って大人げなくつらつら言い返してしまった。

ああ自己嫌悪。こういうの、いわゆる「恥」とか「羞恥」の反応なんだろうね。

 

やりたくないことを無理してまで合わせたくないけど、

リサーチが呼吸するように出来、理論的に考えて患者さんと向き合えるようになれたらきっと皆に頼られるスーパードクターになれたのかな。

医療職で天職と言える人が心底羨ましい。

来年度もう一年大学にいることを決めたけど、こんな様じゃ患者さんへの向き合い方にも影響が出てしまい兼ねず

自分の心をどうコントロールしていけば良いのか。

もやもやしながら医局に帰ってきての今です。

 

 

とりあえず、うちに帰って飯でも食おう。

電車の中でフラッシュバックしそう。