朝闇山




後方は耳納連山



朝倉(あさくら)の地名の由来


斉明天皇が


朝(あさ)なお闇(くら)き


と言ったことが


朝倉の名の由来となったそうです。


7 世紀後半、


極東アジアは風雲急を告げる。


唐と新羅のくだら 連合軍により


百済が滅亡。


その百済復興のために、


斉明天皇は遠征軍を率いて西征する。


斉明 7 年(661)に宮として


造営されたのが


「 朝 倉 橘 広 庭 宮 」であった。


しかし、斉明天皇が実際に


この宮にいたのは二か月ばかりであり


目的を果たすことなく崩御した。


朝倉市ホームページ


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