新大阪まで修学旅行専用列車に乗り、新大阪から新幹線に乗り換え静岡へ。
岡山~博多はこだま型特急つばめに乗り換えてました。
新幹線博多開業は大学二年から三年に進級する春休みのことでした。
大学に入学するために上京する時には、ブルートレインあさかぜでした。
高校の同級生の女の子と
「もし合格したらコーラ一年分‼︎」
を賭けていました。
ふたりともまさか合格すると思ってなかったので軽いノリでね(^^)
博多駅まで見送りにきてくれて
「一年分は荷物になるけん、一週間分にしたよ」
と缶入コーラを渡してくれました。
「汽車の中で読んでね」
と手紙も添えて。
チューリップの「心の旅」 が流行ったのはそれから一年後のことでした。
今日はその続きを書きます。
東京の大学入学後に住んだのは、大学から徒歩五分の2.5畳ひとまの賄い付きの下宿でした。
大学生と近くの予備校生、全部で七人の下宿人がいました。
大学の生協で買ったものは、机と椅子、本棚、それと白黒のポータブルテレビ。
それと卓袱台代わりにもなるコタツ。
テレビっ子だった私は、何はなくともテレビ。
その下宿でテレビがあるのは私だけ。
夕食は私の部屋に集まり、夕食後はみんなでテレビをみて過ごすという日々でした。
おかげで、すぐに友達もできてよかったかなと思います。
当時はまだ物価も安く、国電(いまのJR)の初乗りは30円。
銭湯が48円、コカコーラの缶入り250mlが50円くらい。
郵便料金 封書20円 はがき10円。
これが大学に入学した年の秋に起こったある出来事で様相が一変するのです。
続く