稲光は一瞬のうちに駆け抜けて。 | バイクとサーキットと旅と生活。

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のんびり、マイペース。
真実だけではなく虚構も入り混じっております。
チラシの裏の落書き程度にご覧くださいませ。

ライトニング・ケンジロー、ライトニング篠塚。

いずれも“ライトニング“の異名がつく篠塚建次郎さんが亡くなられた。


仕事の繋がりでラリードライバーさんやコ・ドライバーさんらの知り合いが多く、気持ちの良い人達が多かった。


ここで篠塚さんの経歴は書ききれないので気になった人は調べてみてくださいね。


個人的に思うのは、ラリーアートやチーム・タスカの皆さんは他のメーカーのモータースポーツグループとは少し違う雰囲気の人達で、ワイルドな感じ。


篠塚さんは三菱から始まり、日産でも参戦したりソーラーカーにもチャレンジされていた。

アジパシのチャンピオンにもなられていたなぁ。

時代も1987年とか88年の頃だから、ホンダF1の中嶋悟さんとが活躍した時代ですね。

オンロードは中嶋さんで、オフロードは篠塚さんが有名だった。

幼心(当時ワタクシは6歳ぐらい)にライトニング・ケンジローは記憶していましたから。


三菱のランサーエボリューションのラリーカーと聞くと、この↓カラーリングをイメージする人は多いのでは?

ワタクシ、このコ・ドライバーの小田切順之さんに可愛がって貰っていた頃がありまして、私がかつて持っていたAドライバーライセンスをJAFに推薦してくれたのもMSCCへの加入も全て小田切さんのおかげでした。
そう!私は一時期、2輪も4輪もレースライセンスを持っていたんですwww
当時は"ドライダー"なんて言われる人もいましたね。

20代中頃の仕事でも同じアジパシのNクラスチャンピオンの片岡さんにも凄くお世話になったし本当に自分の人生にラリー関係者が多い。 

2019年のAPRC3のドライバーもよく知る人だしwww

全日本ラリーもなかなかメディアに取り上げられないけれど、見に行くと迫力とか半端じゃないですよ。
雰囲気もスーパーGTとかとまた異なる凄さが有ります。

オフロードモータースポーツの偉大なるレジェンドに哀悼の意を表して。