阿部選手の欧州参戦。 | バイクとサーキットと旅と生活。

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チラシの裏の落書き程度にご覧くださいませ。

阿部典史選手の息子で現在、全日本のST600にフル参戦しJSBなどにもスポット参戦する阿部真生騎選手が来期から欧州のレースに参戦する事になった。


活躍して欲しい気持ちは有るが、正直、大丈夫なのだろうか、、、?

競技を始めたのが中学生ぐらいからで、未だに全日本での表彰台獲得も無し。

欧州に行っても泣かず飛ばずで帰って来てしまう気がしてならない。

そりゃあ、前例として鈴木竜生選手とか、古くは青木治親さんのような全日本を経験せずに世界に飛び出した人もいて結果を残している(鈴木選手はチャンピオン争いに絡んでいるし、青木治親さんは95年96年のGP125の世界チャンピオン)人はちゃんといます。


結果が付かなくても3~4年はその場にいられるのかが問題。

継続参戦出来て環境が良ければ伸びるでしょうけど、ただ参戦しているだけでは意味が無い。

ヨーロッパで活躍もせず、無駄に時間を消費し日本に帰ってきてもシートが得られず、なんて事になったらね、、、。

メカニックもエンジニアもチームマネージャーも日本人のオールジャパンで世界に出るならまだ解るけど、ヨーロッパに行くのはライダーとごく一部だけでは、、、?

過去に日本人がWGPに直ぐにフィット出来たのはタイヤの影響が大きいと言われています。

全日本ロードレースとWGPで使われているタイヤに差が無いのでコースのグリップに対応すればそれなりに結果が出せました。

しかし、ST1000やST600はそれぞれダンロップとブリヂストンのコントロールタイヤ。

ヨーロッパで主流のタイヤとは仕様が全く異なります。

言語、道具、人、それが全て異なる環境で一年目から結果を出せと言うのはどだい無理。

慣れて、環境に適応し、自分を出せる様になるのは最低でも3年。

5年有れば形になると思うけど、そこまで周囲の大人が耐えて待つ事が出来るだろうか?


父親のノリックは18歳にて全日本GP500のチャンピオンを獲得したライダーだ。

当時所属していたのはブルーフォックスレーシング。

プライベーターの様で完全ワークス体制だったチーム。

チーム創設に入交昭廣さん(東京R&D創設者の1人、兄弟の昭一郎さんは元ホンダ副社長)が関与していた事を考えれば解るはず、、、。

(ヤマハから突然WGPに参戦する事になって、一部関係者から『二度とホンダの敷地内に入れない』なんて事を言われたりもした)

日本国内もバブルの残り香が感じられた時代では有りましたが、今よりかなり環境に恵まれた時代。

最も、ライダー自身がその環境作りをするワケでも有るので、阿部真生騎選手がどこまで環境作りをやれるのか、、、。


申し訳ないけど、光雄さんがずっと監督の様な立場で側に居続ける様じゃ難しいと思うな。