僕の前に付き合った、1人の女の子の話しをします。
彼女はとても両親が好きだった。
当時の彼女は20歳。年頃の女の子は、お父さんの事、嫌いになりそうなもの。
彼女はパパもママも好きだった。

彼女は幼少時代から欲しいと言ったものは全部、次の日に机の上に置いてあったらしい。
行きたいと言った場所、始めたい習い事全てが彼女の言うと通りになった。
そして彼女は思った。何かを欲しいと、口にしたら、無理してでも両親が叶えてしまう。
大好きなパパとママにわがまま言いって困らせたくない。

彼女の家庭はとても温かかった。ママもパパも、彼女を好きな事が目を見てわかった。
いつも大人っぽい彼女も、僕といる時とは少し違う、少女そのままのような子供っぽさで、両親に甘えてた。

ここで言いたいのは、物を何でも買ってあげればいい。という事ではなく、娘が抱いた希望を叶えてあげたい。という純粋な愛だ。
たぶんそこに教育、という概念はほとんどないと思う。
僕の両親は、教育、という名目で、財布を気にしていたように思う。

彼女はどこまでも愛情深かった。
付き合って初めての誕生日のために、した事もないバイトを3か月前から始め、そのお金全てを使って2泊3日の旅行に連れて行ってくれた。
付き合って1カ月程度で、この計画をしていたみたいだった。

僕は、男女間での高額なお金のやり取に、口には出せない気持ち悪さを感じる。
これは僕のとても貧相な感覚だ。
しかしながらこの感覚は世間一般で広く認識されていると思う。
信頼されて育った彼女は僕を信頼してた。
頭で考えて、どういう人間か彼女が見抜いていた、というより、やはり彼女も単純に僕を喜ばせたかったんだと思う。

彼女がプレゼント一緒に買いに行こうって、ブランド物のブティックを一緒に回ってる最中、欲しいと思った財布はあったけど、リラックマの大きな人形がいい。と言ったのは僕の貧相な性質だ。
財布は、自分で欲しい物を、彼女に買わせているようで嫌だったから、自分のお金で絶対買わない、大きな人形を買ってもらった。
本当はそんな事に疑問を持つべきじゃない。
でも人形は本当に好きだから、嬉しかった。今でも横で、座っている。
何より彼女にプレゼントをもらった事が嬉しかったのは言うまでもない。

これはとてもわかりやすい1つの例ですが、毎日、毎回のように、電話や出かけるたびに愛を感じでいた。
その明らかに僕よりあふれる豊かな人間性に、弱い僕は、嫉妬に似た感覚で精神を傷つけられたりもしましたが、僕はそういう恋人との関係に置いて、愛というものを知った気がする。

若いころ、といっても2,3年前ですが、このころの若い僕は、やっぱりなかなか女の子よりに明らかに自分が劣っているって、まじまじと認識するのは少し悔しかったんでしょうね。
そんな僕も彼女はかわいいと言って受け入れた。
この尊敬でなくあこがれでもないかわいい、という感覚は愛情のかけらだと思う。
優しさには弱さ来るものと、強さからくるものがある。愛はとても強いものだ。

話を戻して、前半の言った、いい人間、悪い人間とは、人を幸福にでいる人間、できない人間という事だろう。
以前記事にした、「僕の恋人を作らない理由」で話した、幸福な人間にしか人を幸福にすることはできない、というの考えに僕が至った経緯としても、彼女は大きく関係していると思う。
幸せを知らない人間は自分が傷つかない事に必死で、自分の幸せを探すのに必死で、相手を気遣う事が難しい。
幸せな人間は、他人を気遣うのでもなく、与えるのでもなく、巻き込んでゆく。
美味しいも飲食店があれば紹介したくなるのと同じで、楽しい物語があればそれを話聞かせたくなるのと同じで。共有していく。

人を幸せにできる人間になりなさい。と言われ育った僕と、あなたが幸せになってほしいといって育てられた彼女。
他人を幸福にできるのは彼女だった。

両親に話を戻して、仕事と、敢えて名前は言わないが宗教で忙しかった両親と、あまり食事を共にしなかった事も、よくなかったかもしれない。
宗教に関しては日本では軽蔑されがちだが、海外では一般的な事で、この宗教について詳しく知らない僕は否定する気はないが、個人的には大嫌いです。
その理由はいつか気が向いたら記事にします。

子供の頃は無知でしたが、大人になって世間で宗教がどう思われているか理解し、母親に、親がこの宗教をやってるなんて口に出して言えないと言った時、「そのうち言えるようになるよ」と微笑しながら言った時、この人は母親じゃないと確信しました。
いろいろ言いましたが、この一言が、僕が愛されていないことを明確に表しているかもしれない。

そんな家庭に育った僕は愛を知らなかった。愛を待った彼女が僕にとってのおかあさんだったのかもしれない。
僕もいいお父さんになるため、自分の幸せを築こうと思う。
そして子供に、誰かを幸せにする人間、ではなく、あなたの幸せを探しなさい。といてあげたい。




長くなりましたが以上です。
1度書き終えたところでブラウザの戻るを誤って押し、心が折れ、走り書きしたので、誤字脱字あるかもしれませんがすいません。
これを見ると、彼女に未練があるように感じられるかもしれませんが、今でも仲良しなお友達です。
また読んでくれたら嬉しいです^^

僕は両親が好きではない。
こう言って、一般的に想像されるであろう不仲や、複雑な家庭事情は特にない。
ただ、親子として、ではなく、人間として、人間を見て、僕は両親を好きではないのだ。

一般的に親に感謝しろ、みたいな風潮があるが、僕は基本的に親に感謝していない。
本当に僕はなに不住なく育てられたし、それを自覚している。
それでも僕が親を嫌いなのは、感謝を強要されてきたからかもしれない。

世の中の、両親に感謝しなさい。という風潮もとても嫌いだ。
両親と言う前に、彼らも人間である。
「両親」なんてくくり方をするのはあまりに子供じみている。
学校の先生は人間ではなく、人生の中にでてくる、先生というキャラクターだと思っていた、小学生時代の僕を思い出す。
なにを持って善し悪し、と言われたらあれだが、まあここでは話しが逸れるので、何となく自分なりの解釈してほしい。
いい人間がいれば悪い人間もいるだろう。
いい人間にしか子供を産めないわけではない、悪い人間も同じように性行為をすれば子供ができる。
つまりいい両親がいれば悪い両親もいるわけだ。
虐待やニュースであげられる様な事は極端でとてもわかりやすい例だが、そう出なくても、悪い人間、というか大人になりきれていない人間は往々にいるものだ。
勿論僕もその1人だと自覚している。

ここで僕の両親について、とにかく感謝を求められた。
つまり恩着せがましかった。
育ててもらってるんだから感謝しなさい。
働いたらお家にお金を入れるのは当然。
そしてよく両親の気分で叱られた。
別に虐待を受けていたわけではない。
まあ教育の範疇で叩かれたりはした。
まあなんというか、愛されていなかったと思う。少なくとも僕はそう感じない。
他人がこう聞いても僕がわがままを言っていて、親が対してわるくも聞こえないだろう。
まあでも結果として、親を感謝していない僕という人間が育った。

でも僕は愛を知っている。
親を否定できるのは愛を知っているからだろう。
これは本来両親から与えられるのがごく自然なんだろうが、僕はその愛を、恋人から教わった。

長くなりそうなので今日はここまでを前半とします。
ここまでを読み返すと我儘少年ですねw
次回その誤解?wをとけるといいな。
この続きはまた、次に書くのでよかったら読んでください。

できる限り毎日更新したいのだけど、今日はどうも頭が回らない。
でもこんな日もあるだろう。
今後もこういう日が続かないよう努力します。
丁度いい大きさの文字にできない事に優鬱になる今日この頃。

否定的な事はあまり言いたくない。しかし僕は、たくさん否定的な事が浮かんでしまう。
大好きな人が言っていた。否定は改善点を指摘できる時のみ口にするべきであると。
物を作り出すよりも、その矛盾を指摘する方が圧倒的に楽な作業だと思う。
それをよく知っている、それに怯えている人間は精神病になる要素を持っているだろう。

恥を知れ!とはなんとも胸糞悪い言葉だ。
勿論その言葉は、僕の様な精神状態を持った人間に向けられた言葉ではない事はわかる。
人目を気にする、という事は、僕の様な人間でなくても、一般的に広く認識されていると思う。
1人で外食できない、なんて話は、各所から耳にする。
「友達いないのかな?寂しい人w」って思われそう。というのが理由のようだ。

僕の持つ精神病っていうものは、それが加速したものだと思ってほしい。
街を歩けばすれ違う人にバカにされている気がする。劣等感を感じる、そういった事に頭が支配されだすと、胸が痛くなり、呼吸ができなくなり、ここで倒れるかもと、人目がある場所で目立つ様な事になるかも、と考えれば、余計に苦しくなる。

まあこんな感じで。
自分でも勿論知っている。すれ違う他人が僕に関心がない事、実際に倒れかけた時、他人が大丈夫ですか?と声をかけて、飲み物買って渡してくれた事もある。みんな優しい事だって知ってる。
これは本当に自分のせいなんだ。
妄想との戦い。でも理解してても、マイナス思考になってしまう時って誰にでもあると思う。
僕はその、 躁と鬱がうまくコントロールできない。
それが僕の弱さであると信じたい。
弱さなら克服できるから。


なんて格好つけてみたりもする。照

なにから書けばいいのか
わからないので、昨日美容院で聞かれて、考えた事について書こう。

あなたはなぜ恋人を作らないのですか?てよく聞かれる。

どう返せばいいんだろう?その質問を僕に何を期待しているのだろう?

僕には、行動、選択に、わりかし明確な考えがあります。

ただ、こういった質問をする時、相手は恐らく明確な答えなど求めていないだろう。

なんとなく聞いた、というのが適切なのかもしれない。

その程度の関心でした質問に対して、真面目に答えても相手も困惑するだろう。

じゃあなんて回答するのが正解なのか。

そういう質問する人を否定するわけじゃないし、同様の感情で僕も疑問を口にする事は往々にある。

じゃあ君が恋人になって?とおどければいいのだろうか?

そんなのすごい照れるw

なにが正解なのか僕には謎である。

 

僕が恋人を作らない理由

幸せな人間にしか人を幸せにすることはできないと思うんです。好きな人には幸せでいてほしいから、今は僕自身の幸せを追求するべきだと考えます。
僕は恋人と付き合っている時精神に異常をきたして、彼女を想う事が出来なくなりました。
それについては今度じっくりお話します。
まあそういう経験から、自分が満たされていないと、他人を満たす事はできないと思います。

でも、人に恋をするってことは、あらゆる理屈を乗り越えてしまう物だと思います。
相手を幸せにできるだとか、できないとか、そんな事気にかけず、求めあう瞬間を僕には想像できます。

結果、恋をしてないと選択しているのではなく、恋する相手に出会っていないだけなんですね。
いつかまた人を好きになりたいな。
その人と出会ったときに幸せにできるように今は自分の幸せを求めます。