顔の無い叫び、、、                      2019 掲載 再稿
 
 
                    「 悲しい叫び」
 
                  後ろを向いて振向いた
                  悲しい女の唇に
                  春はまだ来ない今
                  タンポポのような綿毛のまぶたが
                  少しばかりの歌を歌う、、、
                  歩き始めたこの春に
                  ひっそりうなずく風の色、、、
                  やおら立ち上がると
                  背のびの影を抱いて泣き
                  さらさらとさらさらと風も歌う、、、
                  うなじに寄り添う風の子が
                  たくさんの花束を
                  今
                  空に向かって投げてゆく、、、
                  空に向かって投げて泣く、、、
 
                        そして、、、
                
 
 まだ明けやまずの端の空に、麗しの声の朝を見る。やおら立ち上がる子犬の尾に、まだ来ない春が乗る、、、。一度に並べた冬色の、花の種の花を風が運ぶ、、、。
 麗しの風に花が咲く、、、。
 利口な花は、何も語らないらしい、、、。そんな花はここには無かった。(詩編 訂正在り、、、)
 
 
                                 雲からの手紙
 
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  人の居ない街は、、、。
 
 有り得ない現実は、有り得ない現実が何で在るかを解れ無いままの、現実でしょう。幸いにと言う言葉があるが、幸いには、細い糸で造った、螺旋階段であるかと思う事にもあった。其れまで苦痛を体内に隠しながら、刻んだ生命の様な感情は、何であったかであろう。情緒も痴情も感性の痴情も全て判断する、各人の体内にある知的分野の細胞、知脳の働きにあるはずでは無いかであった。子供の時代は過ぎた成人方が、其の子供の役者であっては如何な物であろう。
 分れないで、分れる範囲をそこに作用させての後に、毀れた感性が歩き出して彷徨う現実は、誰も素晴らしいとは声を出さないでしょう。そして其の素晴らしいとする感情の在り方を解れる事の精神が、果たして毀れて居ないと分かれる分野は、人間以外に、神が居るとしたら、神にしか解れ無い世界は、知脳の世界に在ると、気づける才能を身に、体内に保有して良いでは無かったかであった。全て廃墟の螺旋階段を、喜んでの顔は不釣り合いなのだと、解れる事実を提示して良いかと、願うのであるのだったようであるが、、、。此処は最小の会話の、鳥たちの空間で有るようだが、、、。   事の無い、現実は、、、。
 
 
              雲からの手紙 2
 
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