
余りにも知らなさすぎるその場所であった。分からないからそうなのだが、病の男がここに来て「居る」その事が、解れ無いのである。この病が、しきりにわかいひとを我れの女だとそこに立って居る。何故其れが病魔が立って居て、わかい女を食い荒らすごときと同じ事なのを理解出来ないのかなのである。少しは分かって良い筈である。昨日や今日にその動きが映し出された訳ではないのだ。全く気づけないのは、病がどのような物かを理解する知能が殆ど目を覚ましていない事になるのだ。
川が氾濫したら、ここは危険な場所だから早く高台に逃げなければならない、、、と知能が驚きの反応に出たから、非難なのだと同じなんだと、そのくらいは分かってしかるべき事象でもあろう。私が何やら動いて居るが、何の事なのだくらいでは、病の症状から理解は無理である。あなた方の家族がこの手の病に追いかけられて、何なのか分からないまま、つまりは精神の歪んだ行動の先に、其れが被害だと分かったときが、被害なのだとくらい、大の男や女たちは理解して良い筈を見るのだ。その時では遅いのだ。彼女が苦渋の言葉を並べたとき、実はその病理に覆い被さる直前なのだと何故わかろうとしないかである。これが事実だとしたら、雇用責任部門は、法廷での判決を受ける事になるのだ。彼女が現実を数人に語ったとしたとした時、其れが病の現れなのだからと、何故次に判断を向けないかである。向けないのではなく、何の事もこんな事も平日の晴天と同じなのだ。
この世界はかなり難しくもあるかもしれない。しれないで済まされたら、心的苦痛のおぞましい事実に向き合ったひとは、余りにも不幸ではないか。同じ失態をおかしたとしたら、同じ事をしないのだ。脳が記憶するからである。通常の空間では同じ失態は起こさないはずである。この男は其れは雨樋に水が流れる様に何でも無く、当然だとの脳が判断するから、同じ事を今日も同じ事にして居たでは無いか。
余りにも取り囲む大人たちが分からなさ過ぎるのだ。これには驚きでしかない。責任者は責任の所在を考えてしかるべきでもあろう。
なぜこの真夜中、このペン先を見つめていなければならないのか、あなた方のペン先で、何なのかここに明示していいではないかである。心身の健康はあなた方の知的判断の中に有るはずである。この集合体の人間の中にこれ以上居ない方が良いのかもしれない。100年立っても同じでは、許されないはずである。老女の馬鹿げた口先に、付き合う必要は当然ありはしないだけだ。ならここに何かを明記する事を求めるだけだ。何でもない事であったらこうまで文字の並びは無い。知脳の病の起こす傷跡は汚いだけである。早く男や女たちは分れる事である。ただあなた方に病は全く無関心であるのだ。危険が無く、平和なのかもしれない、、、。
2019 01 12 am 4:36 分記載
削除文追記2019 11 22 pm 11:23分記