特に榎坂病院にいたら、病院で死なないといけないところだった。革命は小阪病院に移ったことから始まり、独立して彼氏も出来て全ては上手く行って、今は文句ない生活を送っている。
母親は独り暮らししていなかったら、歳を取ったら保護に切り替えて、一生病院に入れとくつもりだった、と涙ながら言った。私の人生は終わりである。そんな親を恨んでしまう。病院で何十年も過ごして、死ぬだけである。
今は一切親からも援助を受けていないから、完全に独立したと言える。それなのに、スネをかじっている、と言われたら考え込んで過去しか考えられなくなる。私は自立してしっかり生きている、と思うから自信満々なのである。
親とは完全に縁を切ったと思っている。会うことも死ぬまでない。私は彼とやっていく、そう思っている。行き来もないのだから、完全に独立している。
親が認知症になってくれて、もう何にも解らないから入院になることは一切ないから、本当に嬉しい😃⤴親がどうなろうと、知ったことか‼
人をすぐに入院させて、一生病院に放り込もうとした人間と離れられて幸せだと思っている。
夜に表に出ることも許されず、独り暮らしをしてまず夜中にコンビニに行ってみたかった。しょっちゅう寝られなかったら、夜中にコンビニへ行って雑誌を買ったり、食べ物を買ったりした。夜中にスーパー銭湯やカラオケに行って好きなことをした。しかし、しっかり仕事はしていた。それが30代である。
私は勝手に生きたかった‼親は邪魔でしかなかった。精神科10年入院した私は世間を知るのも10年の歳月を要した。昔は幻聴が酷くてしょっちゅうビジネスホテルに逃げて、入院を回避した。そうして、来年で退院して8年になり、やっと青春が来たという感じである。遅すぎる春である。