父が亡くなってから12日経ちました・・・



凹んで、いるけれど周りの皆さんのおかげで、少しずつですが立ち直りつつあります。

ほんと、みんな優しすぎるえーん




1/2にお通夜、1/3に告別式、と無事に葬儀も終わりました。

母が喪主だったのですが、一番心身ともに辛いのは母なのに、喪主までしなくてはならないなんて、と思わずにいられませんでした。




そして三が日、明けないうちからお葬式ができるんだ・・・

と、、知らない事だらけです。




1/1から、食事の準備もままならず、元旦から開いているジョイフルやすき家に助けられました。

心も体も冷たいこの状況で、温かいご飯を食べられるというのがこんなに幸せな事だとは泣くうさぎ



父は、食べれなくなって体力が一気に低下したので、食はほんとに生命の根源だと感じるようになりました。



太らないように、食べすぎないようにするのが大変な現代。

父は、食べても食べても痩せているし、食べなくなって更に痩せました。

COPDって、呼吸にエネルギーを使うから、なんだそうですが・・・





そして、これも書いておかなければいけない事なんですが、




実は、クリスマス頃から我が家ではインフルエンザが蔓延していたのです。。





簡単にまとめると





12/25  息子発症。(発熱し、元気がない)

子どもたちを残して午前中だけ仕事行く。

(育児放棄で通報されますかねゲローインフルと思ってなかったんで・・・)

相方さん、帰宅後発症。



12/26 相方さん体調悪い中、仕事。

息子は変わらず目玉しか動かず、何も食べない。

水分だけとらせて、午前中だけ仕事行く。

そろそろ、おかしいと思い始める。


→帰宅後(相方さんの薬局のある)小児科受診。インフルA陽性。

私も咳出てくる。一緒に検査してもらうと陽性。


→帰宅後、倒れるほどきつくなる。発熱。

職場に出勤したことを詫びる。年内出勤できないことを伝える。





12/27〜記憶がない



こんな感じ。



娘ちゃんだけ、何故か元気でした・・・



私は、病院かかった時に

「年内は、外出を控えて療養して下さい」

と言われたため



今年の帰省は無理やなチーン

みんな元気になってからにしよう。



と思ってたのです。。



それが、こんな形の帰省になるなんて赤ちゃん泣き




12/26に(亡くなる5日前です)も父とやりとりして

「帰省は、落ち着いてからで」

と返事がきた、のが最後のやりとりになってしまいました・・・悲しい





インフルエンザとこんな別れが重なるなんて。







東京在住の弟は、12/30の深夜に実家に着いていました。

けど父が入院している病院は


「9時〜20時まで面会可能。

ただし、1週間で1名のみ、1回15分」


という厳しい面会制限があり。

年が明けてから、会いに行こう。



と計画。


しかし12/31の朝に病院から

「心拍が下がっている」

と連絡を受け、、

母と弟で駆けつけるともう心肺停止しており、生きている父とは会えず会話もできなかった・・・




そして、それを療養中の自宅にて、弟からの電話で知る私えーん

なんていう展開なんだ!





知ったところで・・・



急いで駆けつける?


インフルエンザを撒き散らすかもしれない


お母さんにもうつしたらお葬式はどうなる?


でも、もう死んじゃってるし急ぐことはないのか?




色々な事を考えすぎて、パニックになりました。



母は泣いて泣いて、会話もできなかったし

私はどうしたら良い?

と自分を責めました。




とりあえず、命日である12/31にはまだインフルエンザをうつしてしまう可能性があったので帰らず。



1/1に、一人で先に地元に向かいました。

地元は、特急電車で2時間の距離です。



12/31には、葬儀の日取りなども決まっていたので

1/2、1/3と空いているホテルを探して予約。



さすがに、インフルエンザあけの、病み上がり一家で実家に泊まるわけにもいかず悲しい



普通は、葬儀会場に遺体と一緒に何晩か泊まるものなのでしょうが、それもしませんでした赤ちゃん泣き




不幸中の幸いというか、実家は昔からの田舎マインドがあり、親戚付き合いがかなり濃厚なのです。


地元に住んでいる親戚たちが、母や弟をフォローしてくれていたので精神面でも救われたのではないかと思います。



駅に着くと、弟が車で迎えに来てくれて。

駅には、父がよく迎えに来てくれていたので、普通に父が出てきそうで、不思議な感じに。

もう、父が駅に迎えに来てくれることはないんだ、ってすごく実感がなかったです。




弟の車で斎場まで着くと、母と、叔父さん(父の弟)が控室におり、父が横たわってました。



母は、目は赤かったけど泣いておらず、少し冷静さを取り戻していました。


見たいような見たくないような感じでしたが、顔にかけられた白い布をとると、



お父さんやん〜えーん 



て。

普段から、仰向けで手を胸の上に置いて寝るのが好きだった父だったので、ほんとに寝てるようにしかに見えない。



手も、普段から冷えっ冷えだったので、ほんと寝てるようにしか見えない。(2回目)



顔も、元々青白かったので、ほんと寝てるようにしか見えない!!!(3回目)




「嘘だよーウインク

とか言って、起き上がりそう・・・

って、思ったのです。




実は、父が亡くなった日、今まで止まったことなかった実家の時計が止まったんです。


それから実家に寄って、葬儀に使う写真とかを探したりしたんですが


その時に、時計の電池を買ってきて、入れ替えてみました。


それでも動かず・・・


よく、見ると元々入っていた電池が液漏れして、電池を入れる場所に液がこびりついてました。

これが原因なのでは?

と、きれいに拭いて、電池を入れると



動いた。



動いた赤ちゃんぴえん




なんか、この時、父は生き返ったりして。

て思っちゃったんです。

そのくらい、死んじゃったのが信じられなかった。



が、生き返りませんでした。