ひろくんで~~す
連休も終わり、今日から僕も仕事開始です
さて、昨日はテレビで感動的なお話をしていましたので、皆さんにご紹介したいと思います
『壮絶人生ドキュメント プロ野球選手の妻たち』
甲子園当時の愛甲猛は凄まじい人気、そんな彼のライバルが早稲田実業の荒木大輔だった。
2人の対決は視聴率39.9%を記録、試合は愛甲猛率いる横浜高校が勝利した。
1980年のドラフト会議で最大の目玉が原辰徳、4球団の指名を経て巨人へ入団。
一方、愛甲猛は大洋ホエールズを熱望していたが、結果はロッテオリオンズが獲得、これに愛甲猛は嫌な感情を顔に出してしまった。
それでも愛甲猛は気持ちを切り替えてロッテに入団、人気は絶頂だった。
結婚後、2人の子宝に恵まれ愛甲猛は活躍し続け年俸も29歳で5000万円を超えた。
プロとして一番こだわったのが絶対に試合を休まない事、毎年130試合フル出場することが目標だった。
そんな愛甲の体調管理を託されたのが妻 佐知子さん、日々大きなプレッシャーがかかっていたという。
ある時、愛甲は40度の高熱を出したがそれでも佐知子さんの制止を振り切り試合に出場、この積み重ねにより535試合フルイニング出場、パ・リーグ記録として今も破られていない。
愛甲猛が現役を引退して1ヶ月後、外出先から帰宅すると足が腫れ上がっていた。
胸に痛みにも襲われ緊急入院、体中の血管が硬くなる閉塞性動脈硬化症だと診断された。
当時38歳だったが血管年齢は70歳以上、原因は6年間服用し続けた筋肉増強剤だった。
2ヶ月の入院で一命はとりとめたが、その後待っていたのは次々と起こる試練だった。
現役引退後は当時は禁止されていなかった筋肉増強剤を使用していたと告白し…その危険性を社会に伝えるために取材を受けたが、そのことを週刊誌が『球界の薬漬け…』という見出しで説明…
そのことによって…社会からバッシングを受ける事となった…
サプリメントの営業マンに転職した彼は、その名前の重さを知る事となる…
プロとして偉大な業績を残した彼は、またもや様々なバッシングに晒され、営業も辞める事となる…
そんな時に、妻 佐知子さんは彼を献身的に精神面・経済面でも支えておられたのです。。。
その後、野球界から離れていたが、ふとした仕事の依頼…野球コラムの執筆をきっかけに野球関係の仕事が増え、現在はバッティングセンターの片隅を借りて野球教室を行っている。
子供達にマンツーマンで指導を行い、彼らが甲子園で活躍してくれることを願っている。
今年は結婚30周年、そんなご夫婦の元へ2人の子供も駆けつけ一緒にお祝いしてくれた。
愛甲さんから、佐知子さんへの感謝のお手紙に…佐知子さんは涙しておられました…
プロ野球選手…華々しく見える世界の裏には…こんな壮絶な人生のお話があるのですね…
内助の功とはこれなり…素晴らしい奥様のお話に…僕も涙せずには見れませんでした…
でわでわ、みなさん、今日はこの辺で…