いつの頃からか
私は母へ
毎日電話をかけている
しかも朝晩…朝夕?!一日2回やん
ケアの始まる前や合間…午前中に1回、
そして
全てのケアを終えてから…と
そのキッカケになったのは
久々に会った時の
母のちょっとした変化、、、というか
その時の母の様子が気になったから
それまでの母は
パート先のおばさん仲間と
仕事以外で会って食事したり…
ウン十年前の学生時代の友達とも
時々会ったりして…
いろんな人達との
おしゃべりを楽しんでいた
数年前
その環境が変わり
母が楽しみにしていた
それらの時間が
生活の中から一切無くなった
それだけのせいではなく
年齢的なものもあるのかもしれない…
なんにせよ、
とにかく[人と話す]時間を
今より少しでも増やそう。と
私は
母へ電話をかけるようになったのだ
そんな毎日の電話の。。。
ある日の出来事が冒頭のセリフ
ケアの前や合間に電話をする私を
仕事で忙しいでしょ…と気にする母
そんな母が
「あともう1個だけ」と言った後
年賀状、
ひろみが送ってくれたのだけ
当たってたんだよ
話しながら
母の笑顔が浮かんでくる
聞いてる私の顔が
勝手に笑顔になってくる
そんな音をした母の声が
時間のことを忘れるくらい
とっても心地よく聴こえた
年賀状が当たっていたことも
私が送ったのだったということも
もちろん嬉しいことだけど
そのことを伝えてくれる
母の笑顔の見える声や
母の嬉しそうな気持ちが
ヒシヒシと伝わってきて
私はとっても嬉しくなった
顔が自然に笑顔になっていた
初めは
[母のため]にしているつもりだった
でもそれは
[私のため]でもあった
[電話しなくちゃ]になった時期
時間に追われているような時
こんなんじゃ
お互いのために良くないな…
まるで恋愛のよう…
そんなことを思って
かけるのをやめたこともあった
一日と持たなかった
自分が後悔しないためでもあった
この毎日の母への電話は
いつしか
母から元気をもらえる電話になり
母から笑顔をもらえる電話になっている
母は毎回電話を切る時に
「ありがとう」「ありがとう」と
繰り返し伝えてくれる
完全にプツッと切れるまで
何度も「ありがとう」を届けてくれる
私の方こそありがとう。と
私たち母娘の電話は
ありがとうの飛ばし合いなのだ
自分の好きな人
自分の大切な人が
嬉しそうにしていたり
喜んでいることって
こんなにも
私自身を嬉しくしてくれて
幸せな気持ちにしてくれるんだな
そう感じられることも
とってもありがたくって
しあわせで。。。
ってことは、、、
私が母に感じたのと同じように
私が嬉しかったり喜んでいたら
嬉しくなったり
喜んでくれる人がいる…はず
だからやっぱり
周りの人を幸せにするにも
自分が大事。。。だと思うのだ
以前読んだ斎藤一人さんの本で
周りを幸せにしたかったら
[幸せの渦]を作らなきゃダメなんだよ
そのためには先ず
自分が回らなきゃ渦巻きはできないんだよな
『まず自分が幸せになって
それを伝えること』なんだよ
っていう文章があったんですけどね
母との電話のやり取りから
しみじみ感じた思いは
まさにその通りだなぁ。。。と〆なのか?!
全然話変わりますが
金曜、ケアも後半…
いつもなら「今日は何食べよう〜♪」と
夕飯に頭を廻らす私なのです
が!!
なぜか無性に白粥が食べたくなり…
時々おじやにしたり、
野菜色々入れたスープご飯…は食べてるんですが
そういうのじゃなく、[白粥]を欲していたのです
金曜の夜は[白粥]
それが予想以上に美味しくて
ご飯の味を堪能した…というか、
胃にも心にも
なんだか優しい夜ご飯なのでした
ちょっとハマると
つい続けてしまう…はいそれは私です
昨日、土曜の昼も夜も。。。
パターンを変えて全てお粥なのです
栄養バランスも気になり、少しずつ副菜をプラス
朝イチに出発する予定が
どんより雲の空模様で
自分の気持ちより少し出遅れ出発
またまた、自転車で明治神宮へ
向かう間にお日さまも出て青空に
拝殿前の広場への鳥居をくぐると。。。
今日も出逢えた花嫁さん
お宮参りのご家族も何組かいらして
おめでたい㊗️景色があちこちに…
なのですが、
予想以上に人がいたので
早々に…本殿前を後にして、、、
たくさんの木々の中
砂利道を一人ゆっくりと。。。
いっぱい深呼吸して歩いてきました
そして
帰ってきてからお昼ご飯
そう!!お粥です
夜はそろそろ違うものを食べようと思ってます…
あれ〜
いい話をしたはずが
もしかして、もしかして
みんなには
お粥の記憶しかないんじゃ…そうでしょ?!
楽しけりゃ、それでいいさ〜
楽しいか、楽しいのか?!
1人でも多くの人が
心から笑える日々を過ごせるように
ありがとうございます