【男の私がウォーキングインストラクターという仕事を選んだ理由!!】Part1 | 多忙なママだって自分を磨きたい✨お互いを高めあい綺麗ママを増やすCLUB美己満族‼️

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【男の私がウォーキングインストラクター
という仕事を選んだ理由!!】Part1


こんにちは^^


タイト・ウェスト スクール!
YURUKUウォーク
公認インストラクター
EBIZOです!




今日は
だいぶ冷んやりした天気ですが
今年の冬はあたたかいですね!


特に
天気の日の窓ぎわは
日光がポカポカして
気持ちがいい!


寒がりな私には
とても過ごしやすい冬です。


でも
坊主頭の私には
帽子は欠かせません!


この時期
帽子がなかったら
ハダカで過ごしているのと同じ!
というくらい寒いです^^


あぁ!
髪の毛がほしい~笑




タイトルにもありますが
男の私がなぜ?
ウォーキングインストラクター
という仕事を選んだのか
そのお話を3回に分けて
記事にしたいと思います。


私が生まれたとき
EBIZO家(征矢家)は7人家族でした。


男兄弟3人
両親
祖父母


こんな
家族構成で
圧倒的に男が多い
家族でした。


そんな中私は
長男とは9歳ちがい
次男とは6歳ちがいの
末っ子ということで
とてもかわいがってもらった
記憶があります。


特にかわいがってくれたのが
祖父母でした。


ですが
祖父母の晩年というのは
“歩く”ということに関して
とても苦労をしいられるものとなります。


祖父は
若いときにシベリアへ
戦争に行き
帰ってきた男です。


物静かで
ほとんど口を開かず
私の前ではいつもニコニコ
している祖父でした!


今思えば
戦争の話を
もっと聞いておけばよかったなと
思いますし
祖父の若かりしころの
話を聞いておけばよかったなと
思っています。


そんな祖父の晩年は
膝を悪くしてしまい
手術をするまでになり
本当に歩くのが辛そうでした。


外へ出歩くときには
杖は絶対に欠かせませんでしたし


トイレやお風呂場へ行くときには
壁に手を着いて
その場所まで行っていました。


その後も
膝はドンドン悪くなるいっぽうで
最終的には寝たきりの状態に
なってしまったのです。


そんな状態でも
祖父は私の前では
いつもニコニコしていて


「ご飯食べたかい?」
「寒くないかい?」


と私のカラダを気遣ってくれる
心優しい祖父でしたので


いつまでもいつまでも
元気でいてほしかった!


そのように感じていました。


でも私には
祖父を元気にしてあげる方法を
そのときには持っていませんでしたので
とても悲しく悔しい
という気持ちを持っていたんです。


Part2へつづく・・・