かつて、日本には、二人の女王がいた。
こんなにおもしろいことはない!
そう、浅田真央、安藤美姫 時代!
日本女子が強い時代でしたね。
その頃、私もフィギュアスケートの季節になると熱狂しておりました。
安藤美姫選手の大大大大大大ファン!
トリノの次の年、世界フィギュアで世界女王になりました。
ショートはシェヘラザード。
フリーはメンデルスゾーン。
コンビネーションジャンプ3回転3回転(トリプルルッツ‐トリプルループ)は当時、
世界では美姫ちゃんしか跳べない、
コンビネーションでは最高難度のジャンプでした。
(かつてスルツカヤ選手が跳べましたが、引退していたので。世界で2番目に成功させたのが美姫ちゃん、最初のジャンプで降りた足でそのままセカンドジャンプを跳ぶので難しい。)。
その前に、美姫ちゃんは女子で初めて四回転を成功させギネスに載りました。
男子ジャンパー並みの筋力と高さ。
素晴らしかったです。
そして浅田真央ちゃんは、代名詞のトリプルアクセルに果敢に挑戦していましたね。
そのころの数年間は、キム・ヨナ、浅田真央、安藤美姫、が、世界女王を独占していましたね。
この3人で女王をやったりとったり。
すごい時代でした。
私は、その次の年の、美姫ちゃんのプログラムが一番好きで、それで完全に落ちましたね!
ショート、サムソンとデリラ。
フリー、カルメン。
このカルメンが、美姫ちゃんのプログラムの中で一番好きです!
ハートを撃ち抜かれました。
涙が出るほど感動して震えました。
それですっかり、美姫ちゃんに魅了され、完全に落ちましたね。
バンクーバーの切符は自分の枠は自分で取りに行く!
と、断言して、
世界フィギュアで、銅メダル。
これで、日本女子3枠獲得しました。
この時のショート、サユリ
フリー、サン・サーンスのオルガン。
そして、バンクーバー。
ショート、レクイエム
フリー、クレオパトラ
もうね、
身内の気分でハラハラしてドキドキして緊張して応援してました。
私の心もバンクーバーに連れてってくれてありがとう。
同じ時代に生まれわせて、美姫ちゃんを応援できる喜びに感謝します!
そう思ったものです。
美姫ちゃんは、とってもファン思いです。
当時岩手に住んでいた私。
同じコーチのもと織田信成選手と一緒に、岩手の石鳥谷の小さなリンクを、オリンピック前の練習の拠点にしてました。
私は大雪の降る中、県南から県北へと車を走らせ、そのリンクへ美姫ちゃんへのお手紙を渡すため向かいました。
もちろん練習中は入れないでしょうから、
夜、練習も終わって、宿泊先に帰ったであろう時間に、リンクのスタッフの方に、
「明日、安藤選手来ます?これ、渡してください!」と。
あんまり言えないのでしょう…
言葉を濁されて、
「わかりませんが、たぶん…来るかと」
「渡せたら渡します」
そんな感じでしたが。
なんと!
数日後に、美姫ちゃんから、ポストカードが届いたのです!サイン入り!
しか住所宛名は美姫ちゃんの手書き!切手のあたりスマイルのイラスト書いてくれてました!
ほんとに感激したのを覚えてます。
とってもファン思いで、大切にしてくれる方です。
懐かしいです。