わたしはいわゆる、
機能不全家族で育った、
アダルトチルドレン。
父が当時、幼児のままオトナになったような人で、
自分のなかのムシャクシャを、
家族にやつあたりして、キレてしまう人。
物にあたり散らす、
言葉の暴力が主だったんだけど、
それはそれは、
すさまじい怒りのエネルギーで、
小さなわたしは、
コワイという感情をマヒさせなければ、
自分がこわれてしまうって感じるほど、
こわかった。
こころ凍るほど、
こわかった。
幼い子どもにとって、
生まれたおうちは、すべて。
逃げ場がないことを、
本能的にわかっている。
暴力的な言動が、日常のお家で、
コワイよ
つらいよ
助けて
お父さん、どうしてそんなことするの?
かなしいヨー
という感情には、
ぜーんぶフタをして、
きっと、わたしが悪いんだ、
わたしは、そうやって理不尽に怒りをぶつけられても、
しかたない存在なんだよね
お父さんにも
きっとなにか
やむをえないワケがあるんだよね
そうやって
やつあたりして
お父さんが楽になるなら
わたしがわかってあげよう
子どもはオトナより
ずーっと
見抜いて
わかっている
そうやって
お父さんをわかってあげようとすることで、
なんとかその環境に適応しようと、
精いっぱいだった。
DVや虐待っていうと、
いわゆる体の暴力、
殴る、蹴る、
食べ物を与えないとか。。
でも、
言葉の暴力も、
精神的な暴力も
心に深く残る傷、
痛みは、
変わらない。
どちらが軽くて、
どちらが重いって、
ことはない。
むしろ、
こんなの大したことない、
もっと大変な目にあってる人もいる、
こんなことで傷ついた、
わたしが弱いだけなんだ。
そんな風に、
自分の傷を軽くみて、
フタをし、
余計にこじらせてしまうこともある。
わたし自身が
そうだったから。
だから、
わたしは
目には見えにくい、
わかりにくい暴力や、
心理的なネグレクトについて、
この世界で、もっと理解する人が増えていくことを、
願っている。
暴力は連鎖するから。
そんな悲しい連鎖は、
もうなくなってほしいから。
知ること、理解することが、最初の1歩。
