この子に生かされてる | いぬのクシャミとチーズの鼻歌

いぬのクシャミとチーズの鼻歌

だんなさんの転勤で、徳島県であらたな暮らしをスタート。
人生ではじめての田舎暮らしですが、どこにいても「善く食べることは善く生きること」、まいにちの小さな食卓を記録していきます。

あたらしい生命を授かった。びっくりしたといえばびっくり、でも本当に嬉しかった。ただ、しみじみ実感するよりも先に悪阻が到来し、前半戦はややしんどい幕開けとなった。

ようやく悪阻も落ち着いてきた今、赤ちゃんも人らしい?姿に成長してきたりして、ようやく「このお腹の中に、赤ちゃんがいるんだ」という実感がじわりじわりと湧いてきた。正直、悪阻の時期は、そんなことを考える精神的余裕がなかった。一般的には軽い方だとはわかっていたけれど、やはり辛いものは辛い。

人間は生まれてから死ぬまで、ずっと「ひとり」として存在しているのに、妊娠しているときだけは、「ふたり」になる。それって、すごいことだよなあ、とあらためて思う。

エコー映像で、元気に手足を動かしたり、表情をつくってりしている小さな我が子をみると、「ああ、この子は生きようとしているんだ」とわかる。そうすると、今わたしが母親としてやってあげられることは、実はごく当たり前で本当に限られたこと(食事に気をつけたり身体を冷やさないようにしたり、、)なんだよな、と気づく。だって、この子自身の「生きる力」は、存在した瞬間からものすごい勢いで育っていて、「生きたい」という意志をも、ちゃんともっているのだから。わたしがすべきなのは、そこに寄り添いながら、一緒にこの子の大切なものを守って育てていくことなのだろう、きっと。

今回の年末年始、ちょっと頑張りすぎたのか体調を崩してしまい、2日の夜に病院に駆け込んだ。赤ちゃんは元気に生きていて、ホッと胸をなで下ろすも、ものすごく泣きたい気持ちだった。ちゃんと生きてくれてたことに対する安堵と嬉しさと、神さまへの感謝と、自分の不甲斐無さと、何より「この子の存在に自分が生かされていたんだ」という気づきが、もう一気に押し寄せてきて、わたしは、ただただそれらを受けとめてうずくまるしかなかった。

その夜、「母親のあんたがしっかりしないでどうするの!」と、りかちゃんに叱られて励まされて、お風呂場で自分のやや膨らんできたお腹に手を当てながら、どうしようもなく涙が止まらなかった。ああ、これからは、この子が教えてくれるものを絶対に見逃さないようにしよう。こんな私のお腹にやってきてくれたことに感謝して、母親として一緒に成長していこう。この日のことを、絶対に忘れないようにしよう。