夕焼けを見て、うごけなくなった | いぬのクシャミとチーズの鼻歌

いぬのクシャミとチーズの鼻歌

だんなさんの転勤で、徳島県であらたな暮らしをスタート。
人生ではじめての田舎暮らしですが、どこにいても「善く食べることは善く生きること」、まいにちの小さな食卓を記録していきます。

明日から東京という金曜日の夕方。

外出から帰ってきて部屋に保管しておいた洗濯物(季節の変わり目なのか、さいきん晴れなのに突然雨が降ってきたり不安定な天気がつづいているので、念のため部屋に取り込んでからでかけたのです。)を片付けたり、東京遠征の準備をゆるゆるとはじめたり、、。

そんなことをしているうちに、ふっと椅子に腰掛けたら、そのまま動けなくなってしまいました。我が家のベランダからは眉山がきれいに見渡せるのですが、きれいなうすい橙色の夕焼けが山肌をおおいはじめて、町の建物の片面がゆっくりと赤く色づいていくさまを見ていたら、ちいさく波立っていた気持ちがなだめらているような心地良さに包まれました。

徳島に来てから、料理や家しごとに全神経をそそぐ毎日。やっていること自体は主婦業の基本の「き」にも満たない拙さですが、だからこそ、小さな発見とささやかな学びがつまっています。

料理といえば、そもそも私は食べることばかりで、料理するという行為からはだいぶ離れてところにいました。でも今は、出汁の取り方や食材の下味の付け方、切り方、、向き合う作業すべてにおいて、そこには「そうである意味」があります。玉ねぎの皮を一枚一枚取りはがすように、祈るような気持ちで、「そうである意味」を見出して、学んでいく。そんな料理の側面に、いまの自分はかなり救われているような気がします。

気がついたらもう18時。もうひと仕事です。