大恐慌について | まるくすのブログ

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1929年10月24日木曜日。
経済学部生なら一度は覚えようと思う日付だ。
いわゆる大恐慌The Great Depressionの端緒とされるニューヨーク証券市場における株価暴落の日である。
一次大戦によって疲弊したヨーロッパに対する工業製品の大量の輸出により世界の金の半分以上がアメリカへと集中した。
これにより黄金の20年代と言われるかつてないほどの長期的な好況により、アメリカは繁栄を謳歌していた。
しかし、ヨーロッパが復興を始めると共に、次第に農業製品が過剰になり始め、供給過剰が工業製品に及ぶと、度重なる投資による活況が徐々に陰りを見せ始める。
にも関わらず、株式市場の過熱は冷めることなく、やがて実体経済との乖離が大きくなっていく。
時はレッセフェールの最盛期であり、政府による過熱への措置は行われなかった。
そしてついに閾値を超え、バブルが弾ける。
株価の暴落により市場はパニックに陥り、信用取引により破産した投機家には自殺を選択するものもいた。
アメリカ経済繁栄の象徴であり当時世界最高のビルであるエンパイアステートビルには自殺者による順番待ちの列が出来たという。
アメリカにおいて最悪期には失業率は25%を超え、街中にはサンドイッチマンがあふれた。
事ここに至ってもアメリカ政府は放任主義を貫き、自体を悪化させる。
1933年に至り大統領に就任したフランクリン・ルーズベルトが行ったニューディール政策は当時画期的なものであったが、その頃の政府の規模は現在と比較して、極めて小さいものであり、焼け石に水の状況であった。
世界的な工業製品の需要が盛り返し、本格的にアメリカの失業が収まるには、ヨーロッパで再び大戦が起きた1939年を待たなければならなかった。
敗戦から復興の兆しを見せていたドイツ経済も打撃を受け、後にヒットラー率いるナチスを生むことになったのだ。
大恐慌からの脱出に、アメリカは10年の歳月を必要とした。
大戦によって空前の好景気を享受し、恐慌によって引き起こされた大戦によって再び息を吹き返したアメリカ、という皮肉な結果となった。