私は村上春樹の作品が大好きで、作品を読んでいると村上ワールドから出たくなくなるくらいだ。

私は学生時代に下記の本と出会い、村上春樹の作品にハマっていった。

風の歌を聴け

1973年のピンボール

羊をめぐる冒険


上記3作品は本当に好きで、特に『羊をめぐる冒険』に関しては8冊同じものを購入して北海道旅行の度に読んだものだ。

8冊も同じ本を買ったのは単純に探すのが面倒だったからで(笑)


3千冊以上の本が段ボールに納められ、それを探すのが困難故に。


さて、今回の作品に関しては運命を感じざるを得ない。

本来なら今回行った旅行は先週の予定だったのだが、常宿の奥様の都合がつかなかった為にやむを得なく1週間延期した。

そんな経緯から村上春樹著の『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』の発売日に北海道へ行くことになるとは…これは偶然ではなく必然だったということだろう。

ということで、私なりに何かを残しておきたい。

本の感想は人それぞれ感じる部分が違うので、感想ではない部分に触れて行きたい。

もし同作品を読んで何か話したい方がいらっしゃいましたら、メッセなりコメントなりをいただいけましたら対応させていただきますm(_ _)m


一応ネタバレがあるので作品を読もうとしている方はここまでということで。


さて、作品内で次のような文章が使われていた。


『自分が言ったことを残らず撤回したかった。』

『既に口にされた言葉を相手にそっくり忘れてもらうことなんて、なおさら不可能だ。』



『口に出した言葉』についてだが、誰にも自分が言った言葉で誤解や相手を傷付けたりという経験をしたことがないでしょうか?

もちろん私自身もその経験があるのだが、言葉というのは本当に難しいですね。


言わずとも相手にその思いが伝わるのがベストだがそんなことはほぼ有り得ない。


言葉に関しては表現の仕方が多々あり、相手にとって受け取り方が違うこともある。


ましてや日本語は難しいときた。


自身が思ったことが伝わらず、間違った感情などが伝わることもあるわけだ。


言葉って何気なく口に出してしまうことがあるが、発する前に今一度考える癖を付けて、自分の発する言葉の一言一句に責任を持つことが肝要だと。


それはビジネスにおいてはもちろんだが、友人関係や家族間でも同様に…