今回は1992年の勝ち馬レガシーワールドについてです。


このレースでのレガシーワールドは4番人気…夏の函館で力を付けてUHB杯2着からの参戦でした。

レガシーワールドは初勝利を挙げるまでに7戦を要し、エリートというには程遠い馬でしたが、このセントライト記念を機に名馬への1歩を踏み出したのです。
このセントライト記念で1番人気になったのは2連勝で臨むトレヴィット。

二番人気は前走900万勝ちのホワイトアクセルが続き、三番人気は前走ダービー2着がフロック視されたライスシャワー、そしてレガシーワールドは四番人気でした。

レースでは積極的な逃げ馬がいない中、レガシーワールドが逃げ…これにトレヴィットが3番手の絶好位、ライスシャワーは6番手から進み3コーナーではトレヴィットと共にレガシーワールドを捕まえに行く展開。

トレヴィットは直線で力尽き、勝負はレガシーワールドとライスシャワーの一騎討ち。

結局は逃げたレガシーワールドが頭差でライスシャワーを押さえ優勝。

坂路の戸山厩舎はミホノブルボンに続き、この世代の2強を有することになりました。

ライスシャワーはこの後、レガシーワールドの僚馬であるミホノブルボンに菊花賞で勝利するという因縁…余談ですが、菊花賞にキョウエイボーガンさえいなければミホノブルボンが逃げ切った可能性が強いと今でも思っています。

レガシーワールドはその年のジャパンCでトウカイテイオーの4着と頑張り、その後の有馬記念ではメジロパーマーに逃げ切られるも2着と検討し、着順に力を付け、翌年のジャパンCで念願のG1制覇。

コタシャーンの騎手がゴール板を間違えるというミスにも助けられ、大舞台で見事に華を咲かせました。

しかしながら、このジャパンCがピークだったのか、その後は悲惨な成績となりました。