幸福論には二つのタイプがあります。

 

一つは世俗的なもので、神仏の力を借りずに、ごくごく日常的な状況で、主にある種の工夫を凝らして幸福になろう、というものです。現代ではラッセルやアラン、古代ではアリストテレス(この名は以外でしょうか?彼の『ニコマコス倫理学』の主題の一つは幸福です)や孔子などが有名です。このタイプでは、20世紀の幸福論者は幸福を倫理と必ずしも結びつけませんが、古代の幸福論者は結びつけることが多いようです。現代の世俗的幸福論者は、極度の不幸に陥った者に対しては、かける言葉を持たないようですし、このことは彼等も認めています。

 

 

もう一つのタイプの幸福論は宗教的です。こちらの陣営には、近現代ではヒルティ、内村鑑三、フランクルなどがおり、古代では耶蘇、釈尊などがいます。彼等は死後の世界を考慮しつつ、世俗の幸不幸を論じ、倫理的でもあります。神頼みも否定しません。どうしようもない不幸に陥った者に対しても、説く言葉を持っています。

 

私は両者の優劣をつけずに、よしとみなす言葉は拘らずに採用していきます。今後もお付き合い下されば幸いです。<(_ _)>