昨夜はヒルティのこの言葉を記しました。

 

「こころみに、しばらく批判することをすっかりやめてみなさい。そして、いたるところで力のかぎり、すべて善きものをはげまし、かつ支持するようにし、卑俗なものや悪いものを下らぬものかつほろび去るものとして無視しなさい。そうすれば、前よりも満足な生活に入ることができよう」(ヒルティ『眠られぬ夜のために』第1部2/5)。

 

これと関連するのが、ヒルティの以下の言葉です。

 

「われわれを侮辱するすべての者をゆるしてやれ…。執念ぶかい憎しみは内的生活をむしばみ、憎しみの相手よりも憎しみをいだく当人の心を害うものである。…即座にすっかりゆるすことが困難なこともある。…こういう場合には、少なくともしばらく、復讐をやめて、神におまかせする方がずっとよい。…傷つけられた感情も、報復の計画などで煽られなければ、時がたつにつれて、また神の恵みによって、しだいに宥められるものである。…たとえ心のなかだけでも、決して人といさかいをしてはならない。」(ヒルティ『眠られぬ夜のために』第1部1/7)

 

つまり、単に人に対して面と向かって、あるいは陰で批判するのを止めるだけではなくて、心の底からその人に対する批判の気持ちをなくせ、ということにもつながります。

 

 

 

ヒルティは理想主義者でありながらも現実的でもあります。侮辱はゆるせと言いながらも、すぐに許せないならば、せめて復讐を止めよ、時が経てば心も次第に落ち着く、としています。上から目線で人を許さないのは悪だ、と難じるのではなくて、それができない場合には復讐はやめなさい、と言うからです。人間の怒りがなかなかなくならないということを知っているのです。そのうえでの発言なのです。神への信仰がない人に対しても、このヒルティの助言は部分的には通用するように思います。

 

私はこう書き記しつつ、私もまた学んでいます。ヒルティは我が憂うる高校時代の慰めの書でした。他にも、幸福論者たるラッセルやアランも愛読していました。この三人の中では、特に心の安らぎを感じたのはヒルティの書でした。ラッセルはラッセルで軽快な味わいがありました。アランについては、その飛躍せる文体についていけずに困惑するばかりで、その真髄(?)が理解できたのは、それこそつい最近の話です。