疲れた。
ボート競技みたいな持久力系の競技をやっていると、基本疲れている。
疲れてるときは何もしたくないし、
横になったら最後、
このベッド吸着力あるんじゃないか?
ってぐらいベッドと背中がくっついて離れない。
「休みの日に寝てるなんてもったいない」、
それが常識だと思うが、
休みの日が一番疲れてるから、
休みの日こそ動く事ができない。
むしろ疲れて動けないだろう日が「休み」になってることが多い。素晴らしき練習メニュー。
かといってオフ、休みが続くと、
「今まさに心肺機能が落ちているんじゃないか!!」
という強迫観念から、長期間ゆっくり休むこともできない。
元気なときは不安になり、
疲れているときはくたばっている、
それがボート選手の日常。
こうしたボート競技を通じて得られることはなんだろうか。たまにふと思う。
ボートを1秒速く進める技術、体力を得たところで、引退すれば数日で無くなる。
資格の勉強や、アルバイトとは違い、
蓄積されるもの、目に見えて生活の足しになるものはない。
むしろ漕ぐたびに単語は忘れ、懐は寂しくなっていく。疲労感ぐらいしか日々実感できるものはない。
なんなんだ?この生活は?
ボート部の先輩にこの謎の生活について解説してもらったら、
「壮大なる時間の無駄遣い」
と言っていた。確かにその通りだと思う。
誰よりも効率的なトレーニングを追求し、
より効率的な食事、睡眠、
24時間の全てを、より強くなるために考えて行動すること、
それらすべてが「壮大なる時間の無駄遣い」。
素晴らしいな、と思ってしまった。
大学ボート部同期の結婚式に行った時、相手方の友人さんがボート部出身ばっかりの集団を見て
「体育会っていいですね。私、先輩とか後輩とかいないんで、羨ましいです」と言ってくれた。
おそらくお世辞だ。
だが、それがスポーツの意味なんだろうなと思った。
人。
「『壮大なる時間の無駄遣い』を共にやった仲間がいる。」
それがこの人生の宝物、財産なのではないかと思う。
基本的に疲れてるし、
得た能力は実社会に使えず、
そして数日後に無くなる。
でも、壮大な時間の無駄遣いを一緒にした仲間は失われない。
みんなと一緒に無駄なことができるというのは、ある意味幸せなことなのかもしれない。
「人生の無駄遣い」。その先の幸せ。
効率的な幸せの手に入れ方ってのはあるんだろうか。
それが究極の非効率の先にあるのなら、人生面倒くせーなと思う。
人をもっと大事に、なくならないものを大事にしたい。
それに気づくための、「あと1秒」なのかもしれないない。
「あと1秒」のために
人を傷つけたり、失ったりもするけれど、
今後そういうことがないように、無駄遣いができていければいい。

