27日は、大和市平和都市推進事業実行委員会に出席しました。平成30年度の初会合です。平和運動系の市民団体などの代表のほか、市議会の各会派から1人ずつ委員になっており、私は昨年度に引き続き2年連続となります。

 

 これに先立つ26日は、超党派団体、関東若手市議会議員の会の研修と役員会で茨城・ひたちなか市の国営ひたち海浜公園を訪れました。

 

 さて、27日、南北首脳会談が行われ、完全な非核化を通じ核のない朝鮮半島を目指し、年内に終戦を宣言し平和協定に転換するとする共同宣言が出されました。

 

 本当に実現できるのであれば、歓迎すべき動きでしょう。ただ、核開発を続けつつ弾道ミサイルを発射し、金正恩朝鮮労働党委員長の異母兄・正男氏らを暗殺してきた国です。これまでも合意破りを繰り返してきたお国柄です。手のひらを返したように「微笑み外交」をしても、額面通りには受け取れません。また、拉致問題をはじめ日本に関係することには言及がないといい、冷静に見つめたいと思います。

 

 

 

 首脳会談の舞台となった板門店は、大学1年生だった1995年3月下旬、春休みを利用して韓国・ソウルを一人旅した際に、日帰りの観光ツアーを利用して訪問したことがあります。

 

 当時の写真や資料を引っ張り出してみました。韓国、北朝鮮両国の軍事境界線=写真左下=の真上に軍事停戦委員会本会議場=写真中下=があります。国境となっているマイクのコードをまたぐと北朝鮮に〝入国〟でき、私もちょっぴり北朝鮮を往来できました。ツアーでは、「北朝鮮の軍人に対し、指を指したり対話したりしてはいけない」と固く禁じられていました。軍人が微動だにしなかったことを思い出します。

 

 当初の警備は緩やかだったものの、北朝鮮軍人がポプラの木を剪定しようとした米兵2人を斧で殺害した1976年の「ポプラ事件」以降、軍事境界線が定められ、事実上の分割警備になったということです。