集団的自衛権の問題がにわかにクローズアップされています。私は市政をチェックする市議会議員なので、安保法制は本来の守備範囲ではありません。ただ、先日、駅頭活動した際、市民の方から「自民党には『戦争法案』に反対する議員はいないのか」とご叱責を受けました。前職時代、9カ月間だけですが防衛省を担当していたこともあり、自分の頭の整理のためにも、考え方をまとめておきたいと思います。


<「戦争法案」ではない>
 集団的自衛権の問題は極めて難しくわかりにくい問題です。一部の団体などは「戦争法案」と分かりやすい表現でレッテル貼りをしており、そう考えている人も多いと思いますが、まったく正しくありません。

 まず、この法整備は「切れ目のない安全保障法制の整備」ということであり、万が一の事態が生じたときに、法律の不備があって何もできない状況を防ぎ、迅速な対応を可能にするためのものだということです。

 ザックリと言えば、これまで日本の防衛法制は、何か問題が生じたときに、慌てて法律を作って対応することが多くありました。ただ、安全保障環境が厳しくなっているなか、日米防衛協力のための指針(ガイドライン)の改定時期に重なるということもあって、これからは、事前に切れ目のない法制を整備しておこうということです。

 政府や与党は「専守防衛の方針は変わっておらず、武力行使を目的にイラク戦争や湾岸戦争のような戦争に参加することはない」と説明していますが、嘘ではないと思います。


<憲法違反なのか>
 先日の衆院憲法審査会で、参考人として呼ばれた憲法学者3人がいずれも「違憲」と判断したため、国会の議論が振り出しに戻ってしまい、違憲論に拍車がかかっています。ただ、法律が合憲か違憲かを判断する「違憲立法審査権」を最終的に持っているのは、最高裁です。もちろん、憲法学者は専門家ですが、日本の制度で「憲法の番人」は最高裁となっています。


 そもそも、日本が集団的自衛権を有していることは、国連憲章、サンフランシスコ講和条約、日ソ共同宣言、日米安保条約でも明記されています。国際法上は集団的自衛権を持っているにもかかわらず、内閣法制局はこれまで「必要最小限度の範囲を超えるので、憲法9条の解釈上、許されない」との立場を取ってきました。

 これに対し、安倍内閣は、砂川事件に関する最高裁判決で「憲法9条は我が国が主権国家として有する固有の自衛権を何ら否定していない」と集団的自衛権を否定しなかったことを根拠に、集団的自衛権は可能だと解釈を見直したという流れになります。なお、砂川判決の補足意見の中で、当時の田中耕太郎最高裁長官は「他国の防衛に協力することは、自国を守るゆえんでもある。自衛は他衛、他衛は自衛という関係がある」と指摘しています。

 反対派は「砂川判決は駐留米軍の合憲性が争われた。集団的自衛権は対象となっていない。この判決を根拠とするのは筋違いだ」などと批判していますが、「自衛権」をめぐる最高裁の判断はこの判決しかないとされており、仕方ないことだと思います。

 なお、自衛権をめぐる憲法解釈はこれまでも変遷をたどっています。そもそも戦後の日本政府は、個別的自衛権すら認めていませんでしたが、徐々に解釈を拡大してきたのです。


<行使の要件は限定的>
 集団的自衛権の関連法整備を可能にしたのは「武力行使の新3要件」です。3要件を新旧で比較すると、こうなります。


旧(1)我が国に対する急迫不正の侵害がある
新(1)我が国に対する武力攻撃 が発生したこと、または、我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国 の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある

旧(2)これを排除するために他の適当な手段がない
新(2)これを排除し、我が国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がない

旧・新(3)必要最小限度 の実力行使 にとどまる


 大きな変更があるのは、第1要件です。旧3要件では「我が国に対する…侵害」ということで、個別的自衛権のみが対象だったと解釈されていました。それが新3要件で「我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し…」と加わったことにより、集団的自衛権に基づいた武力の行使が可能となりました。ただ、行使する際には「我が国 の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険」との前提があり、歯止めが厳しくかかっています。


 つまり、集団的自衛権は、「我が国の存立が脅かされる…」事態が発生し、外交交渉が不調に終わるなど「他に手段がない」時にだけ、「必要最小限度の行使」が認められているのです。「従来の個別的自衛権でもできる範囲内で、集団的自衛権を可能にした」との解説もされているのは、このためです。他国の防衛自体を目的とした武力の行使はできないのです。

 なお、「国会の承認」が求められている点は、以前と変わっていません。

 反対派は「要件は抽象的なので拡大解釈できる。歯止めになっていない」と言います。ですが、どんな事態が起きるかわからないのに、あらかじめ「このようなときには行使できる」と具体例を例示すべきではありません。それは、他国に手の内を明かしているようなもので、抑止力の効果を薄めてしまうと思います。