今回の衆院選は「大義がない」とよく言われます。安倍晋三政権が勝てる時期を選んだ「今でしょ選挙」と揶揄する人もいます。ただ、近年、政権側が国民に信を問うべき大義があった選挙は、小泉純一郎政権下の郵政解散ぐらいしかないのではないでしょうか。

 そもそも、政府・与党側が「勝てる」と考える時期に解散するのは当たり前のことです。株の売買にたとえれば、利益を出すために株価が高いうちに売るのが鉄則です。トレーダーは「これこれこういう理由で、いついつには株価が下がるなぁ。売り時は今かなぁ…」などと、株価が高い時期を見計らって保有株を売却します。利益の極大化をはかることも当然の行為で、何もやましいものではありません。経営学には「ゴーイング・コンサーン」という言葉がありますが、企業は長期的に存続することを前提に活動します。これらは政権運営にとっても同じことでしょう。

 ここ10年間は、郵政選挙や2度の政権交代選挙と刺激的な衆院選が続いてきたので、今回の選挙は何か物足りないかもしれません。ただ、選挙は本来面白いものではありません。本質的には、有権者による政権に対する「通信簿」です。
 
 今回、安倍総理は「アベノミクス」の是非を問うています。それ以外にも、集団的自衛権の閣議決定をはじめ安倍政権2年間を判断する材料は多くあると思います。投票する基準は有権者一人一人が自由に決めればよいことです。

 いずれにせよ、野党が「大義がない」と主張するのは、準備が整わずに攻撃材料に事欠いてしまい、苦し紛れに叫んでいるように映ります。本来、野党というのは、何かにかこつけて解散を求め続けているのが一般的です。解散したら、困ってしまって「大義がない」と主張するのは、「争点や勝機が見いだせない」ことの裏返しではないでしょうか。
 
 アベノミクスへの批判がいろいろと出ています。ただ、野党が批判するばかりで対案を出せていないのは大変残念です。日本の選挙が、平成15年の「マニフェスト選挙」(=民主党が初めてマニフェストを前面に打ち出した選挙でした…)より前に後退してしまっているような気がしてなりません。